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家電蒐集家 松崎順一インタビュー

ビンテージラジカセから見た、個人が世界を巻き込むものづくり

捨てられた1970年代~80年代の家電を集め続ける「家電蒐集家」デザイン・アンダーグラウンド主宰の松崎順一さんはただのコレクターではない。古い家電の販売をきっかけに、現在はメーカーを巻き込んだ家電製品企画や販売戦略までプロデュースするなど、多くの企業から注目される新しい時代の「作り手」だ。
40歳でデザイナーのキャリアにピリオドを打ち、本当にやりたい事を目指して自分の道を切り開いた松崎さんに、ものづくりの今と若いエンジニアへのメッセージを聞いた。(撮影:加藤甫)

「陸の孤島」の団地の一角に眠る大量のラジカセ

東京の東の果ての果て、足立区花畑のレトロな団地群の中にある商店街の一角に、松崎さんのファクトリーはある。扉を開けると、所狭しとストックされた大量の家電の向こうから、スマートな笑顔の松崎さんが出迎えてくれた。

松崎さんは「家電蒐集家」という肩書で都内近郊の廃棄処理施設と契約して、ラジカセを中心に1970年代から80年代にかけ日本で生産・販売された家電を仕入れ、修理して販売している。もともとスナックだった30坪のスペースには修理前と修理後の家電が大量に眠っている。 

「僕が今扱っているものは1970年代から80年代のものなんですけど、作られてから30年から40年経つのでメーカーにも部品がないし修理もしない。一般的な家電は30年から40年もすると、たいていどこか壊れてるので、僕が集めてくるものも十中八九どこか壊れています」

そうして救出された家電は松崎さんの手によって、当時の品質を完全に再現した形で修理される。修理は初めこそ独学で場数を踏んできたが、松崎さんの活動に共感したメーカーのエンジニアとの情報交換や、当時の部品を取り扱う地方の部品メーカーとの連携により、ほぼ新品に近い品質になると評判が評判を呼び、今では販売だけでなく、貸出やイベントでの展示のオファーも多い。

「古いものを直すときには本体だけあっても、なんでこういう形と性能になったのかを知らないと、当時の音に近い形で直すのは難しくて、開発された方との情報交換は結構やっています。『あのときはこういうプロジェクトでこういう企画でこういう形にもっていくためにこういう製品ができた』というバックボーンを知ると、僕の中で『こういう音を求めてたんだよね』というリアリティが生まれて、当時に近い音が出るようになりました。」

松崎さんが70年代から80年代のラジカセにこだわる理由は、日本のものづくりのアイデンティティが詰まっているからだという。

「いろんな家電がある中でラジカセは日本から誕生したんですよね。ラジオとカセットはそれぞれ海外で生まれたんですけど、それを日本が合体させてラジカセという複合家電を生み出しました。海外で生まれた良いものをかみ砕き、改良の余地を見つけて『俺たちだったらもっとすごいものが作れる』という事で、高度化するという当時のメーカーやエンジニアに共感しているのが大きいですね。

当時はサルマネ文化と揶揄されましたが、日本は複合家電が得意な国で、世界中にあるいろんなものをくっつけて日本ならではのアイデアを加味して、より高度化したものを発信していた時代がありました。今では中国や韓国にお株を取られ、メイド・イン・ジャパンという誇りも失っていますが、僕は当時の技術者がしていたような、日本ならではの技術やこだわりを次世代のプロダクトに活かしていく取り組みができれば、これから日本のものづくりはもっと盛り上がると思うんですよね」

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