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大企業エンジニアが「ガイコツおじさん」になるまで

Maker FaireやNT金沢、NT京都などのMaker系展示会に行くと、等身大の骨格模型を巧みに操る名物Makerが日本にいる。

滑らかな動きで踊り、ハイタッチやハグをする骨格模型「前骨格」を制作する鈴木宏明(すずき ひろあき)さんがMakerとしてイベントに出るようになったのは、ほんの数年前。マイコンに夢中だった少年時代を経て、大学卒業後に大手半導体メーカーに就職。そこから約25年は趣味の工作やマイコンに触れることもなく、仕事に明け暮れた企業戦士だった。

さまざまなイベントでパフォーマンスを披露する鈴木さん
自作の骨格模型を器用に操る鈴木さん。簡単そうに見えるが最初は失敗の連続だったという。 自作の骨格模型を器用に操る鈴木さん。簡単そうに見えるが最初は失敗の連続だったという。

そんな鈴木さんが骨格模型と共にMaker系の展示イベントに出るようになったのは2016年。現在では海外のMaker Faireにも積極的に出展し、年齢や国籍を超えて多くの友人を作り、新しいテクノロジーを吸収することに大きな喜びを見出しているという。

鈴木さんがどのようにしてMakerになったのか。現役エンジニアこそMakerの世界に飛び込むべきだと力説する鈴木さんの半生を伺った。(撮影:加藤甫)

原点はMakerな祖父

生まれたのは1963年です。理科が大好きな子どもで、記憶に残っているのは学研の図鑑「理科の実験」。いろんな実験の例が載っているのを見て、片っ端から台所で勝手に実験をして母親を困らせていました(笑)

操作している透明の骨格模型はバキュームフォームを使って自作した最新作。各パーツの型を複数回に分けて成型したあとに組み合わせて制作した力作だ。 操作している透明の骨格模型はバキュームフォームを使って自作した最新作。各パーツの型を複数回に分けて成型したあとに組み合わせて制作した力作だ。

一番影響を受けたのは祖父ですね。今でいうMakerな人で、自分でラジオを作ったり電子工作をするのが趣味で、会うたびに新しい作品を見せてくれたり、ゲルマニウムラジオなどの作り方を教わったりしました。祖父からはんだ付けを習い、建て替わる前の秋葉原ラジオ会館でマイはんだごてを買ったのを覚えています。

祖父は元銀行マンで、ものづくりとは無縁の仕事だったのですが、70歳を超えても好きな工作に没頭しているようでした。僕のものづくり好きは祖父の血を受け継いだからかもしれません。

鈴木さんの衣装が青ずくめなのは、テレビ番組などで使われるブルーバック合成で青い部分が消えるということを意識してのこと。「ただし、ブルーバック合成で映像に残したことは無いんですけどね(笑)」 鈴木さんの衣装が青ずくめなのは、テレビ番組などで使われるブルーバック合成で青い部分が消えるということを意識してのこと。「ただし、ブルーバック合成で映像に残したことは無いんですけどね(笑)」

中学生になるとマイコンブームが起きました。最初にマイコンを見たのはラジオ会館で、みんなが店内に置かれたNECのTK-80というマイコンに何かを打ち込んでいるのを見てから、すぐにマイコンのとりこになりました。

その後、池袋にある西武デパートにマイコン専用売り場ができたんです。そこでもマイコンを触ることができて、みんな何かプログラミングしていたんですね。当時は簡単に買えるような値段じゃなかったので、マイコンを持ってないけど興味のある若者はたくさんいました。彼らはデパートに行っては展示品を占拠して朝から晩までプログラミングしていて、「ナイコン族」って呼ばれていました。

僕もナイコン族だったのですが、一番好きだったのは「PET 2001」というマイコンでした。常に誰かが使っていて、なかなか触らせてもらえなかったので、土日になると早朝に起きて池袋に行き、開店と同時にエスカレーターを駆け上がって、一番乗りで閉店まで遊んでいました(笑)。当時はマイコン雑誌の「月刊I/O」や「月刊アスキー」に載っているプログラムを「写経」するのに熱中していましたね。

後で知った話ですが(任天堂の社長だった)故・岩田聡さんもマイコン売り場の常連で、後のHAL研究所の設立メンバーと出会ったのも西武デパートのマイコン売り場だったそうです。

半導体の設計者がArduinoに興奮

最新作の骨格は背骨にLEDを仕込んでいる。「タイのバンコクで開催されたMaker Faireではナイトパレードに参加して、ものすごく盛り上がりました」 最新作の骨格は背骨にLEDを仕込んでいる。「タイのバンコクで開催されたMaker Faireではナイトパレードに参加して、ものすごく盛り上がりました」

大学で通信工学を専攻した後に就職したのはNECの半導体部門(現:ルネサスエレクトロニクス)で、CPUの設計をしていました。当時はRISCプロセッサという新しいCPUが出始めた時代で、職場には新卒から4年目ぐらいまでの若い社員がたくさんいて、世界のCPUメーカーと対等に戦うぞという熱気にあふれていました。その頃は完全に趣味の工作やプログラミングからも遠ざかっていました。仕事の延長線上にあるように見えて、興味が起きなかったんです。

NEC社員時代の鈴木さん(中央、出典:100BOOK NEC、写真提供:鈴木宏明さん) NEC社員時代の鈴木さん(中央、出典:100BOOK NEC、写真提供:鈴木宏明さん)

転機は2008年のリーマンショックでした。それまで忙しかったのが一転して、商談は無くなり、お客さんも減り、尊敬していた先輩技術者もリストラで会社を去りました。その頃はマネジメントが仕事の中心になっていたので、開発に関わることも少なくなり、工数管理やExcelやPowerPointの資料を作ってばかりでした。このまま会社にいても、技術者として新しいことにチャレンジできないだろうと思っていたときに、たまたま立ち寄った本屋で手にとった「週刊ダイヤモンド」(※筆者注 2010年5月22日号)に「大手メーカーを脅かす素人集団 電子工作ブーム」という特集記事があったんです。

その記事には電子工作で生活に役立つものや面白いものを作っている事例が紹介されていて、普通の人でもArduinoを使えば簡単に工作できることを知りました。その記事の中で「Make: Tokyo Meeting 05」(Maker Faire Tokyoの前身)という100組以上の出展者が出るイベントがあり、ちょうど記事を読んだ翌日(2010年5月22~23日)に開催することを知りました。

翌日、会場に行ってみると衝撃の連続でした。その当時のMake: Tokyo Meetingは企業展示が少なくて、個人やサークルの出展がほとんどでした。みんなプロも驚くような作り込んだ電子工作やデジタルファブリケーションによる作品を出しているかと思えば、デイリーポータルZのようなメディアもおもしろ工作を出していて、自分の知らなかった世界が広がっていました。「電子工作ブーム」というのは本当かもしれないなと思い、Arduinoをすぐ注文したのを覚えています。

そこから世の中のものづくりの世界を広く知りたくなり、Make:のイベントだけでなく、展示系のイベントに通うようになりました。科学系の博物館や大学の研究室公開、メディアアート系の展示、デザインフェスタやワンダーフェスティバルにも行きましたし、ゆうちょ銀行がやっているアイデア貯金箱コンクールの入賞作品展示会にも行きました(笑)。

東京のMaker Faireには毎年通い、本場のベイエリアやニューヨークのMaker Faireにも行くようになり、全ブースの写真を撮ってWeb上で写真アーカイブを公開するようになりました。
しかし、思ったよりもアクセス数が伸びなかったことや、ブース数が増え収集がつかなくなっていたことで、アーカイブ活動に限界を感じていました。

その頃、イベントで知り合った友人から「Maker系のコミュニティは自分で作品を作る人しか関心は持たれないよ」と助言を受けたことや以前よりも時間に余裕ができたこともあり、自分もMakerとして何かを作り出展をしようと思いました。

前骨格を作るにあたって強く影響を受けたという「特撮博物館」の展示図録。(出典:「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」別冊 巨神兵東京に現わる) 前骨格を作るにあたって強く影響を受けたという「特撮博物館」の展示図録。(出典:「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」別冊 巨神兵東京に現わる)

作るものとして真っ先に浮かんだのは、学校の理科室にあるような骨の模型です。子どもの頃から骨が好きで、生物学系の展示会にも通っていて、骨が動く仕組みに関心があったので、これを生かした展示にしようと思いました。ちょうど、その頃に庵野秀明監督による特撮専門の展覧会「特撮博物館」(開催期間:2012年7~10月)を東京都現代美術館に見に行ったところ、文楽人形方式で操られる怪物(巨神兵)の短編映画やメイキング映像、等身大模型があったんです。
それを見た時に、「骨格が実際に歩いているところを見たら絶対におもしろい」と確信めいたものを感じました。

ただ簡単に骨格模型が手に入ると言えば、そんなことはなく、精巧な模型は数十万と高額です。しかも非常に重いので操るには難があります。そこで骨格模型のペーパークラフト本をベースに使うことにしました。これなら軽いし、値段も4200円なので手に入りやすいというのも決め手でした。

でも、そう簡単にはいかないもので、とにかく組み立てるのが大変でした。当時はまだ会社に勤めていたので、毎晩1時間だけ組み立てて寝るという生活を2カ月ぐらい続けてようやく完成。でも、頭から背中にかけて釣り糸が1本だけ通してあって、ぶらーんと吊り下げるしかなくて、ダイナミックに操れるようなものではなかったんです。思っていたのは違うというガッカリ感と、完成した達成感に満足して、すぐにバラして箱にしまってしまいました。

会社員からMakerへ——前骨格の誕生

そこから2年後の2015年に会社を辞めて、これからどうしようかと考えていた時に中途半端に放置していた骨格模型のことを思い出したんですね。今なら最後までやりきれる時間もあると思って、もう一度組み直して後ろから操作できるようにパーツを追加して、なんとか完成させました。

これで自分もMakerの仲間入りができると思いましたが、あいにくMaker Faire Tokyo 2015のエントリーには間に合わず、地元の川崎で開催されるハロウィンパレードに参加することにしました。本番直前に最終の動作テストをしたら、一歩進んだだけで腰を支える最重要なパーツがポキっと折れて、見るも無残に大破。川崎のパレードは諦めて、翌週に開催される六本木でのハロウィンパレードを目指して修理/補強しました。

苦い思い出になった川崎のハロウィンパレード前の失敗から、鈴木さんの模型は常に改良を繰り返している。 苦い思い出になった川崎のハロウィンパレード前の失敗から、鈴木さんの模型は常に改良を繰り返している。

当日は現場で3時間かけてネジ留めしたりして組み立てて、ぶっつけ本番でパレードに挑みましたが、歩いてみるとうまく進めない。背骨が斜めになって、思ったように動いてくれませんでした。先にどんどん進む周りの人たちに置いてけぼりにされて、「やはり事前にテストと練習しないといけない」という悔いが残りました。でも、一人だけ外国人のおじさんが「エクセレント!」って言ってくれたことに救われたような気分になって、今でも強く印象に残っています。

そこからはフリーランスの回路設計技術者として働きながら、Makerとしての活動も本格的に取り組むようになりました。パワードスーツの様に人間の外側に骨格があるロボットを「外骨格ロボット」と一般に呼ぶのですが、この作品は前方に骨格があるので「前骨格ロボット」だというダジャレのネーミングにしました。

展示の仕方も最初はどうやってコミュニケーションを取ればいいのかわからなかったけど、2018年のMaker Faire Bay Areaに出展したときに、公式サイトが「全員で必ずハイタッチしようぜ!」と記事を書いてくれて、それからはハイタッチが基本になり楽しくなりました。基本的にはブースに留まらず、会場中を練り歩いてお客さんとコミュニケーションを取るんですが、日本人は恥ずかしがったりして、なかなかハイタッチしないけど、海外のイベントだとハグしたりキスしたりする人もいて、文化の違いを感じます。

ベテラン技術者がMakerであり続ける理由

「最近では前骨格を操作することで身体拡張しているような感覚があって、もうひとりの自分が前にいてお客さんとハイタッチやハグをしているような気がして、テレイグジスタンス(遠隔存在)ならぬ“ニアイグジスタンス”(近くの存在)と勝手に呼んでいます」 「最近では前骨格を操作することで身体拡張しているような感覚があって、もうひとりの自分が前にいてお客さんとハイタッチやハグをしているような気がして、テレイグジスタンス(遠隔存在)ならぬ“ニアイグジスタンス”(近くの存在)と勝手に呼んでいます」

2016年以降はMaker FaireだけでなくNT金沢やNT京都(いずれもMaker系展示イベント)にも出展するようになり、Maker友達が増えたことで自分の関心の幅も広がりました。

口から紙製のベロが飛び出す仕掛けは子どもに人気だという 口から紙製のベロが飛び出す仕掛けは子どもに人気だという

僕のようにずっと技術者をやってきて、50歳代でMaker Faireに出る人は少ないけれど、今が一番楽しいですね。展示イベントに出て、何がウケるのかを検証して、改善するというサイクルがモチベーションになっています。それに加えて、自分の知らない技術や分野のことも知りたくなるのがMaker系のイベントの特徴ですね。奥深さと幅広さがあって、みんな違うことをやっている。知りたいことがどんどん広がっていく楽しさがあります。
今、関心があるのは人工筋肉。最終的には前骨格に筋肉をつけて、人間に近づけたいですね(笑)

Makerの醍醐味は言われたものを作るのではなく、作りたいものを作り共有することです。1位を決めるようなコンテスト形式ではないので、みんな違ったものを作っていいから、会社員エンジニアの時には無かった楽しさや刺激があります。最近、企業の放課後サークルみたいな形でイベントに出展する人も増えているけど、まだ多くの人に知られていないので、こういう面白い世界があるんだよって伝えたいですね。

作ることに興味がある人は先延ばしにせず今すぐ何か手を動かして作り始めることをお勧めします。「いつか暇になったら…」とか「定年後に…」とか考えても何も始まらないし、歳をとると体力や好奇心が衰えてしまうかもしれません。
Maker Faireを楽しめたのなら、すぐにMakerになるのが楽しいと思いますね。

若い人の作品には常に刺激を受けます。僕も年寄り扱いされたくないし、ずっと続けていきたい。前骨格も展示のたびにアップグレードしてます。僕の祖父がそうであったように、年寄りになっても作り続けていきたいですね。そうすることで、未来を担う子どもたちやMakerとしての可能性がある大人たちに関心を持ってもらうきっかけになれれば嬉しいです。

骨格模型一体を収納するのにトランク1つは必要だという。取材当日も2時間かけて骨格模型を組み立てていた。面白そうなイベントがあれば、どこにでも行くと話す鈴木さんのフットワークは軽い。 骨格模型一体を収納するのにトランク1つは必要だという。取材当日も2時間かけて骨格模型を組み立てていた。面白そうなイベントがあれば、どこにでも行くと話す鈴木さんのフットワークは軽い。

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