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Instalimb 徳島泰氏インタビュー

あきらめた心に希望を——ファブラボから誕生し、フィリピンの貧困層に義足を届けるInstalimb インタビュー

Instalimb創業者の徳島泰氏

「足を腐らせたまま死ぬのを待っているおじさんを見て、この人を救えるのは俺しかいないかもしれないし、俺じゃなかったら解決できないんじゃないかと思いました」
メーカーを休職して青年海外協力隊としてフィリピンのへき地を訪れた徳島泰(とくしま・ゆたか)氏は強い使命感に駆られた。

Instalimb(インスタリム)は、3Dプリントによる義足を開発途上国向けに提供するスタートアップだ。医療・福祉制度が整備されていない開発途上国では義肢装具を必要としながら、手に入らない人が90%以上にも上ることが珍しくない。Instalimbは、膝下の義足に特化した3DプリンターとAIを活用した3D CADソフトに、独自開発のフィラメントを駆使して、義肢装具士がいない開発途上国でも義足・義肢装具を生産できるソリューションを開発している。

創業者の徳島泰氏は、父が経営するベンチャー企業を手伝いながら製造業のイロハを学び、美大でプロダクトデザインを専攻した後、医療機器メーカーに就職。青年海外協力隊として訪れたフィリピンで、義足が手に入らず足を腐らせたまま死を待つだけの重度の糖尿病患者たちを見て、開発途上国でも手に入る義足の開発をすべく起業した。

先進国のスタートアップだからこそ、大企業が投資しないフィールドでリバースイノベーション※を起こせるチャンスがあると語る徳島氏に、開発途上国向けの3Dプリント義足の可能性と創業までの経緯を伺った。(撮影:加藤甫)

※リバースイノベーション…先進国企業が新興国や途上国向けに開発した製品やイノベーションを普及させ、後から先進国に適用させる概念

AIを活用し、義肢装具士なしで義足を24時間で作成

Instalimbは独自開発した義足専用の3Dプリントソリューションをもとに、フィリピンで義足を提供している。

義肢装具は基本的に患者の身体に合わせてオーダーメイド製作が基本だ。日本では専門の資格を持った義肢装具士が、通常2〜3週間かけて製作する。金額も1本あたり50万円程度以上することが通常で、義肢装具士が不足していて、補助金制度も無い途上国では、ほとんどの障害者に義足が行き渡っていない。義肢装具士の教育環境や製作環境の整備も、長期間、莫大な投資が必要になるため長年放置されてきた。

義足専用のFFF(熱融解積層)方式3Dプリンター。(写真提供:Instalimb) 義足専用のFFF(熱融解積層)方式3Dプリンター。(写真提供:Instalimb)

Instalimbでは、市販の3Dスキャナーでスキャンしたデータを基に、義足に特化した独自開発の3D CADソフトで義肢装具士がデータを補正し、3Dプリントする。
そうして完成したCADデータを、義足に特化したフィラメントとFFF方式3Dプリンターで造形する。価格は1本2万ペソ程度(約4万円)で、現地の大卒初任給とほぼ同額だが、既存の義足の約10分の1だ。しかもデータスキャンから納品までに要する時間は24時間程度だという。

義足用に開発したフィラメントは耐久性だけでなく、剛性にもすぐれている。スネは硬い素材、足先は弾力性のある素材で別々に造形して接着している。フィリピン大学総合病院と共同で実施した耐久試験では、既存の義足同様の耐久性があることを確認できたという。(写真提供:Instalimb) 義足用に開発したフィラメントは耐久性だけでなく、剛性にもすぐれている。スネは硬い素材、足先は弾力性のある素材で別々に造形して接着している。フィリピン大学総合病院と共同で実施した耐久試験では、既存の義足同様の耐久性があることを確認できたという。(写真提供:Instalimb)

さらに多くの貧困層に義足を届けるための新たな開発も進めている。
最初に患者の足をスキャンしたデータと、義肢装具士が補正したデータの差分を機械学習することで自動的に補正内容を提案するAIを開発中だ。学習データが十分に蓄積すれば、将来的には義肢装具士なしでもデータを補正できるようになるはずだという。

このAIで造形した義足は、義肢装具士が製作した義足に比べると、現状では使い勝手は劣る部分はある。
しかし、これまで義足が手に入らなかった最貧困層の障害者や過疎地の住民でも、現地でスキャンしたデータを受け取り、義足を3Dプリントして届けることができ、持続可能性のある事業として継続できる可能性がある。都市圏だけでなく僻地にも義足を届けることで、フィリピンだけでも500億円以上の市場規模が見込まれるという。

「2020年に黒字化を果たし、2021年以降にはインドや、その他の開発途上国への進出を目指しています。また、膝下義足だけでなく、膝上義足や他の義肢装具も製造できるようにすることで、プロダクトとエリアを広げて2021年以降には急成長を遂げたい。2023年にはIPO(株式上場)したいですね」(徳島氏)

大企業が入り込めなかった領域でイノベーションを起こし、急成長を目指すというスタートアップの王道のようなビジョンを描くInstalimbだが、創業までの道のりは決して平坦なものではなかったという。

19歳で億単位の損失を抱える家業を手伝う

学生時代から「泥臭いものづくりの現場を経験してきた」と語る徳島氏。その経験はInstalimbに生かされている。 学生時代から「泥臭いものづくりの現場を経験してきた」と語る徳島氏。その経験はInstalimbに生かされている。

徳島氏は1978年生まれ。キャリアの原点は19歳の時だった。

「父親が立ち上げた液晶関連の部品メーカーが大量の不良品を出してしまい、億単位の損失を返すべく、学校に行くこともできず、ひたすら働く日々がしばらく続きました。僕のキャリアのスタートは19歳の時で、工場でひたすらはんだ付けする日々でした」

大学でデザインを学ぶはずが、会社で日々発生するトラブルを必死になって打ち返していた。この工場は不良品が出やすい、この商社から部品を買うと、コンデンサーを安いものにこっそり変えられる、といったトラブルと戦い、ひたすら泥臭い仕事ばかりしていたと当時を振り返る。

巨額の損失をなんとか解消すると、徳島氏は父のそばに付いて、開発やエンジニアリングを学ぶ機会が増えた。ハードの設計から技術営業のやり方まで学んだ。大手の納入先のための書類作成をする日もあれば、シリコンバレーに行き現地のベンチャー企業と集積回路を開発することもあった。

「スタートアップの醍醐味である『とにかく、なんでもやる』という世界に10代から放り込まれ、毎日涙目になりながら働いていました」

父の会社での日々は後に起業する徳島氏にとって、お金を出しても手に入らない貴重な経験になった。しかし、その後のキャリアに大きな影響を及ぼす、ものづくりの闇を知ることにもなる。

「末端の部品メーカーはいかに早く安く供給できるかが生命線。コスト競争になると、環境負荷への意識がなおざりになるんです」

圧電セラミックスの量産を委託していた中国の工場に行った時のことだ。製造時に使う鉛の廃液が工場内で処理されることなく、川に垂れ流しになっているのが見えた。白濁した廃液が流れる先には白菜の畑があり、地元の農家がひしゃくで濁った川の水をすくい、畑にまくのが見えた。ある時、その工場の社員食堂で出た野菜炒めに白菜が使われていた。工場で働く現地の人たちが野菜炒めを食べる中、徳島氏は箸をつけることができなかったという。

「ものづくりって最高だよねとか、最新のコンピューターに自分たちの部品が搭載されているといったプライドが粉々になった瞬間でした」

一度目の起業で挫折し、ものづくりを学びなおす

中国での経験が開発途上国でのビジネスにつながったと語る徳島氏。 中国での経験が開発途上国でのビジネスにつながったと語る徳島氏。

強い罪悪感に駆られながら、帰国した後も父の会社で働いていた徳島氏に転機が訪れる。

「父が若年性のアルツハイマー型認知症を発症したのをきっかけに、25歳で会社を畳むことにしました。それで父の会社ではなく、自分で起業しようと思いました。昼間はSEやWebデザイナーとして日銭を稼ぎ、仕事が終わると新製品開発に勤しむという生活を続けていました」

それまでに学んだ圧電セラミックスの技術を応用して、CD-Rのようにアナログレコードをコピーできる機器を開発していたが、3年目にして限界を感じ断念することを決めた。
自分にスタートアップとして製品を出せる実力は無かったことを痛感した徳島氏は、大学でものづくりを学び直すことを決意した。そのときに思い出したのは中国で見た白菜畑だ。誰かを犠牲にするような製造の仕方をしないためには、ものづくりの上流工程に食い込まないといけない。そのためにはエンジニアリングではなく、製品の企画から携わることができ、かつ製造工程にも関与できるようなデザイナーになるしかないと考え、徳島氏は28歳で多摩美術大学に入学する。

大学ではプロダクトデザインを学んだ。

「中国の工場で先進国の食い物にされている状況を見て、何か償いたいという気持ちがずっと残っていました。卒業後の進路を考えたときに開発途上国にアプローチできるものづくりをやっていこうと決めました」
再び社会人に戻る前に行けないようなところに行きたいと思い、開発途上国を回った。そのときに現地で青年海外協力隊として働く人たちと知り合い、先進国で開発された医療機器が現地で使われているのを見て、開発途上国での医療機器の重要性を再認識した。
大学卒業後、徳島氏は医療用電子機器メーカーの日本光電工業に入社。医療機器開発の経験を積んだ。

「3年目ぐらいで企画から製造、販売、そして企画に戻るという製品開発の流れを2回ほど経験して、メーカーにおけるPDCAを経験できてきた時点で、ふと何のために大学に入り直してまでキャリアを築き直そうとしたのか、分からなくなってきたんです」

父の会社での経験もあり、同期よりは早く製品を任され収入も安定していた。しかし、自分がやりたかったこととは違う気がしていた。自分のキャリアをもう一度考え直そうかと考えていた矢先に東日本大震災が起きた。

ゼロからスタートしたフィリピンでのファブラボ立ち上げ

青年海外協力隊時代の徳島氏(写真提供:Instalimb) 青年海外協力隊時代の徳島氏(写真提供:Instalimb)

いつ死ぬか分からないからこそ、もう一度スタートアップをやりたいと思ったが、過去の失敗を思い出すと安易に決断はできなかった。自分はどこまで社会に通用するのか——徳島氏は自分の実力を確かめるべく、青年海外協力隊に応募する。

「大学の卒業制作でアフリカに行った時に青年海外協力隊の方々にお世話になったことを思い出し、英語圏でデザインに関する案件がないか探して応募しました」

徳島氏が派遣されたのはフィリピンの貿易産業省(日本の経済産業省に当たる機関)の地方局。ボホール州で地元の企業に対してのデザインのコンサルティングやディレクション、デザイン業務の提供に加え、現地大学でのデザイン教育を担うことになった。

現地に赴任すると想像しなかった現状を目の当たりにする。

「図面が読めなかったり、平面図から三次元の形状をイメージできなかったりする人がいました。学校で教育を受けていない人は正しく数字も読めなければ、はさみすら扱えない人もいました。小学校をドロップアウトしていて農家にもなれない人にものづくりをさせようとしているような状況で、日本で培ったノウハウが何一つ使えないというありさまでした」

ものづくりの基礎的な能力が絶望的な状況だった一方で、多くの人がスマートフォンを持ち、CGを描ける学生も多かった。現地ではアナログな産業の発展を待たずに、デジタルなデバイスが普及するリープフロッグ現象が起きていた。

「日本のように手を動かしてのものづくりを教えてから、その効率化としてデジタルによるものづくりを教えるという考えかたを捨てて、最初からデジタルによるものづくりを教えたほうが地域に根付くのではないかと考え、日本にいたころに知ったファブラボのことを思い出したんです」

開発途上国でもファブラボが機能している事例は多い。リープフロッグが起きやすい開発途上国だからこそ、デジタルファブリケーションが最適だと考えた徳島氏はファブラボを立ち上げることを提案。JICAも支援することになり、フィリピン政府の貿易産業省と科学技術省、州立ボホール島大学、JICAの合同プロジェクトとしてフィリピン最初のファブラボ「ファブラボ・ボホール(FabLab Bohol)」が立ち上がった。

徳島氏が青年海外協力隊時代にプラスチックリサイクルのプロジェクト。帰国後にJICAからの支援を取りつけ、ODA(政府開発援助)の事業として現在も進行している。(写真提供:Instalimb) 徳島氏が青年海外協力隊時代にプラスチックリサイクルのプロジェクト。帰国後にJICAからの支援を取りつけ、ODA(政府開発援助)の事業として現在も進行している。(写真提供:Instalimb)

徳島氏がファブラボで立ち上げたプロジェクトは主に2つあった。ひとつは街中で廃棄されているプラスチックを回収し、シート材・板材にリサイクル加工して、ものづくりをするプロジェクトだ。ファブラボとは別に州内の全町になる15カ所に簡易的なラボ(ミニファブラボ)を作り、ファブラボで独自開発したヒートプレス機など小型のリサイクル関連の機材を設置した。材料が買えない貧困層でも自ら材料を調達/生産した上で、その材料を利用してレーザーカッターなどのラボのマシンを使って、収入を増やすためのプロジェクトを立ち上げた。

もうひとつがInstalimbの創業につながる義足の開発だ。

「ファブラボを立ち上げたとき、大統領が訪れたのを皮切りにたくさんの政治家が見学に訪れたのですが、多くの方が『ここで義足は作れないのか』と尋ねるんです。調べてみると、貧困層の間で糖尿病が蔓延していました。塩辛い魚に大量のご飯という日の丸弁当的な糖質過多の食生活をするしかなかったのが原因でした。

彼らは病院に行くお金もないから定期的な健康診断も受けられず、体調不良を放置した結果、足を切断する人が多いんです。でも、義肢装具を作れるところが、誰もが行けるような公立施設だと国内に3カ所しかない。それじゃ、みんなどうしてるんだって尋ねたら『何もしていない』と答えるわけです」

僻地での調査活動では、開発途上のなかで取り残された人たちを見ることも少なくなかったという(写真提供:Instalimb) 僻地での調査活動では、開発途上のなかで取り残された人たちを見ることも少なくなかったという(写真提供:Instalimb)

過疎地に視察に行くと村に1人は足が腐っている人がいる状況で、なぜ足の切断手段手術をして義足を付けないのか、このままでは体に毒が回って死んでしまうぞと伝えても、彼らはすべてを諦めた表情で何も答えなかった。足を切断したところで義足も手に入らないなら家で寝るしかないし、無駄な食いぶちが増えるぐらいなら早く死んだほうがいい、という発想に徳島氏は愕然とした。

「その時に『義足をやるしかない』と思ったのと同時に、『このおじさんと同じように足が腐っているのに何もできずにいる世界中の人達を救えるのは自分だけなんじゃないか』と思ったんです。ハードもソフトも材料の開発も、泥臭い製造ラインの立ち上げや管理も分かっていて、会社経営の経験もあって、開発途上国の僻地にも入っていけて、貧困に苦しむひとたちとも目線を合わせてものづくりができる人間なんて、世界中に何人いるだろうかと想像したときに、自分しかいないんじゃないか、と思ったんです」

ファブラボ・ボホールで義足を開発していた頃の徳島氏(上)と、その頃の試作品(下)。このプロジェクトが後にInstalimb創業につながった。(写真提供:Instalimb) ファブラボ・ボホールで義足を開発していた頃の徳島氏(上)と、その頃の試作品(下)。このプロジェクトが後にInstalimb創業につながった。(写真提供:Instalimb)

こうして開発途上国での義足開発に使命を見出した徳島氏はファブラボで試作を始め、開発途上国での義足製造には3Dプリンターが最も適していると結論づけた。しかし、市販品の3D CADソフトや3Dプリンターで既製品と同等の義足を設計・製造するには品質、コストの面で難があることもすぐに分かった。徳島氏は会社を退職することを決意し、日本に帰国して2015年より開発に着手する。ファブラボ・ボホールで始めたプラスチックリサイクルのプロジェクトを慶應義塾大学で研究員として継続しながら、3Dプリンターによる義足開発を進めた。

父の会社での経験から、試作開発から工場との交渉、量産までの知識は十分にあった。すべてのユーザーが何にでも使える汎用3D CADソフトと3Dプリンターのようなものではなく、自分たちが抱える義肢装具士やエンジニアが義足を設計し3Dプリントするために特化したソフトとプリンターという開発方針を設定して、余計な機能やアプリケーションはすべて省き、必要な機能のみを開発した。こうした発想は医療機器メーカーでの製品開発の経験が生きている。

これまでのキャリアをフルに生かした3Dプリント義足を開発途上国で製造・販売する目的で2017年にInstalimbを創業。現在は研究・開発拠点の日本に7人、販売/製造拠点としてフィリピンに7人の社員を擁し、年間1000本の製造体制確立を目指している。

最大の敵は「諦めてしまった心」

フィリピンでも義肢装具に購入代金を助成する制度の導入が始まっているという。この制度への適用が実現すれば、Instalimbの義足は、より多くの人に普及するだろう。 フィリピンでも義肢装具に購入代金を助成する制度の導入が始まっているという。この制度への適用が実現すれば、Instalimbの義足は、より多くの人に普及するだろう。

今にして思えば自分は非常にラッキーだったと、徳島氏はこれまでの半生を振り返る。

「19歳からの涙目になりながらの父の会社での経験や、大学で身をもって知った開発途上国におけるデザインの文脈、BtoBのものづくりを学んだ会社員時代の経験、青年海外協力隊で得た開発援助のノウハウを全て動員できる『義足』というアプリケーションに出会えたからこそ、2度目のスタートアップに踏み切れたと思います。今は自分の持てる力を全て投入して、仕事ができているという実感があります」

これまでに約70本以上の義足を製造しているが、本人以上に周りの家族が喜び、涙する。

「足を失った本人もつらいけど、周りの家族も犠牲を払っています。家族は会社や学校に送迎するために仕事や学校を休んだり遅刻したりすることになってしまうからです。そうなるとだんだん収入が下がったり、学校の授業についていけなくなったりしてしまう。だからこそ、義足は本人だけでなく、家族にとっても必要なんです」

開発途上国での義足普及において最も難しいのは、一度諦めてしまった心を変えていくことだという。徳島氏は製品の開発と並行して、自分たちの義足の試着・体験ができるワークショップを開き、脚切断者の社会復帰を促したいと考えている。

「開発途上国に住む貧困層特有の『諦めてしまった心』を変えたい。障害者になっても負けでも終わりでもないし、『チャンスがあるんだ、人生は変えられるんだ』ということを、本人とその家族に伝えていきたい。健常者にだって失業者はいるし、障害者に仕事はないだろうと言う人は現地にもいますが、それを許容する社会であってはならないということを、伝えていきたいと思います」

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