スタートアップは日本で量産できない——深センのジェネシスがスタートアップの駆け込み寺EMSになった理由
IoT系のハードウェアスタートアップ界隈に取材していると、必ずといっていいほど名前が挙がるEMS(電子機器の受託製造業)がある。藤岡淳一氏が率いるジェネシスホールディングス(以下、ジェネシスHD)だ。
中国・深センに巨大な自社工場を持ち、日本企業のデジタル機器開発/量産を担うEMSとして、スマートフォンやタクシー用デジタルサイネージ、モバイル翻訳機として大ブレイクした「POCKETALK(ポケトーク)」などを製造している。その傍らで日本のハードウェアスタートアップの量産も数多く請け負っている。(撮影:加藤甫)
スタートアップからの信頼も厚い。窓型スマートディスプレイを開発する京都のスタートアップAtmophは、第2世代となる「Atmoph Window 2」の製造をジェネシスHDに委託している。その理由をCEOの姜 京日氏にメールで尋ねると、以下のように回答した。
ハードウェアを扱うスタートアップとはいえ、自分たちは製造のプロではないので、量産の最後の形になるまで信頼できるという安心感
国内製造では実現できなかったコスト低減努力をしてくれる
基板類の開発や設計まで、品質を妥協せず試行錯誤してくれる
製造に関してワンストップになってもらえる
こんなところがAtmophにとって製造を委託したメインの理由と感じています。
また、当初は国内のみでの製造から、深センでの生産にも挑戦しようとしているPLEN Roboticsは、日本のEMSとは比較にならないジェネシスHDのスピード感を高く評価している。
「これまでの経験と比べると1回のミーティングで、国内での1カ月分ぐらいの進捗があったとエンジニアが喜ぶほど、スムースにやりとりができる」(PLEN Robotics COO富田敦彦氏)
日本でジェネシスHDが生まれない理由
藤岡氏は、スタートアップから支持される理由を、日本と深センではEMSの構造が違うからだと分析する。
「日本はプロフェッショナルな企業は多いが分業なんですね。EMSであってもPCBA(プリント基板への電子部品実装)までとか。金型、基板、組み込み、組み立てから箱詰め、それぞれ別の会社に頼まないといけないことが多い。そうなるとコストもスタートアップにとっては手が届かなくなるし、複数の会社に振り回される。私たちの場合は部品調達と組み立て、検品、梱包がメインだが、それ以外の金型やPCBA、板金やハーネスは深センのサプライチェーンをフルに活用している。
日本のEMSは『ここはうちではできないから、あらかじめできあがった部品を支給して下さい』と言う。でも、深センのEMSはサプライチェーンを駆使しながら、前工程から後工程までカバーして、最後に顧客が手に取る状態までをカバーしている。上流と下流の考え方が違うんです」
スタートアップの案件は、EMSからすれば手取り足取りレクチャーが必要で、生産数も少なく、リピートにつながるかどうかも不明瞭で、手間も多くリスクもある。藤岡氏は「スタートアップの仕事を受けるメリットは、経営面では全く無い」と断言しながらも、量産までたどり着けないプロダクトを一つでも救いたいという動機から相談を受けているという。
「1000~3000ぐらいのロット数の量産は通常の法人との取り引きでも普通にあって、珍しいことではありません。ただ、ここ最近になって日本でもハードウェアスタートアップが出てきて、試作でお金がなくなったとか、深センに行っても苦労しているという話を聞くにつれ、『これはなんとかしないとマズいな』と思ったのがきっかけです」
日本の工場は確かに品質が良いかもしれない。しかし、なんとか調達した資金も金型代にほぼ使い果たし、その後の工程に進む予算がなくて頭を抱えるスタートアップも少なくない。一方で深センは日本での価格と比較すると安いが、部品や成型品、組み立てに至るまで品質が安定しない。場合によっては工場にかじりついて現場のスタッフと口論になり、前金も払い戻されないまま破談になるケースもある。
こうした状況を知った藤岡氏は深センでの量産の実態やノウハウをレクチャーすべく、藤岡氏は高須正和氏らが立ち上げた「ニコ技深圳観察会」(2018年04月に「ニコ技深圳コミュニティ」と名称変更)というイベントコミュニティに参加し、日本からやってくる人たちに深センのサプライチェーンを使うメリットや注意点をレクチャーしたり、量産の相談に乗ったりしていたのが、スタートアップ支援の原点になった。
スタートアップが深センに駆け込む理由と、それを受け入れる理由
こうして藤岡氏は日本のハードウェアスタートアップに、文字通り工場の門戸を開くようになる。経営上、全体の売り上げに応じてスタートアップとの案件数は上限を決めているが、スタートアップからの相談は引く手あまただ。コスト競争力やスピード感でアドバンテージのある深センの中でも、スタートアップがジェネシスHDに駆け込むのは何故か。その理由の一つに深センの流通を把握した品質管理がある。
「同じスペックの部品でも10ドルから40ドルと価格差があり、品質面でもA、B、Cと3段階ぐらいの差があるのが深センです。Cクラスのバッテリーだと、すぐにヘタれたり膨らんだりする。最も品質の良いA+ランクは深センでは流通せず、Appleやソニー、サムスンといった大企業が買っていくので、市場にはA-以下の部品が流通しています。仮にA-のメモリーを1000個調達しても、半分ぐらいB以下のメモリーが混ざっていることもある。こうした背景を知らずに深センで量産をすると、トラブルが起きます」
ジェネシスHDでは製造前に部品の全品仕分けを行うほか、提携する部品メーカーとも継続的に取り引きすることで、不良品は返品できるような契約を結ぶなどのリスク回避を行っている。
もうからないスタートアップとの仕事は、エンジニアを成長させる
プロダクトを救いたいということ以外にスタートアップの案件を引き受ける理由もある。藤岡氏は「これまで話したことがないけれど」と前置きしてから、ジェネシスHDにとってのメリットを明かした。
「基板、筐体の設計からファームウェアの開発もできる部門が深センの拠点にあります。通常は大手企業からの案件をこなしているわけですが、受託ってエンジニアからすると面白くないんですよね。『センサーからのデータをBLEで飛ばしてクラウドに上げます。筐体はなんでもいいです』みたいな案件を淡々とやっています。
深センにはピカピカのスタートアップがたくさんいて、エンジニアがバリバリと仕事して、自分たちが設計した製品が世の中に出ていくから満足度も高いしプライドもある。受託でやっているうちのエンジニアたちにはそういう場面がない。だから、スタートアップからの面白い案件が10件に1件ぐらいあると好んでやる。スタートアップの要求って無茶ぶりが多いけど、世の中にないものを作るわけだから、深センの部品や金型や樹脂でやるには、いろんな課題もある。でも、それを私達は自分たちに任せてもらってやるわけなので、通常の案件よりも難易度が高い分、得られるノウハウも非常に大きい。特に最近のスタートアップはソフトウェアで最適化するのがうまいので、ハードウェアを担う私たちにとってもチャレンジしがいのある案件が多いし、確実に肥やしになっています」
もの言う裏方
社内にノウハウが貯まるという経営上のメリットや、良いものを一つでも世の中に出したいという藤岡氏自身の思いからスタートアップの案件を受けるジェネシスHDだが、スタートアップは「お客様」としては扱わず、対等な関係でやりとりするという。それが合わないスタートアップもいることを藤岡氏は理解した上で、最短で量産を成功させるために、あえてそうしている面もあると語る。
「日本の工場だと、ちゃんとした会社と堅い仕事をやってきた人が多いから、Tシャツでやってくるスタートアップの人も同じようにお客様扱いしてしまう。けれど、スタートアップは製造業側の人間から見ればド素人なので、コミュニケーションにギャップができてしまう。大手企業からの量産案件など、通常の取引先であれば『なんでも言ってください』と言いますが、スタートアップの場合はメールでも会話でも、うんざりしたような表情で『あのさぁ』から始まることが多いし、値切り交渉があれば『もうけようと思って付き合ってないから帰って』とはっきり言います」
スタートアップの中にはCADデータや回路図、部品表(BOM)と、量産向けの試作品をそろえた上で相談にやってくるスタートアップもいるが、深センで量産するコストメリットを高めるために設計をやり直すところから始めるケースもあるという。
「BOMにあるものを深センにある部品で置き換えるだけでも安くなるからということで、相談を受けることもあります。ただし、精査してみると深センで調達できないような部品が混ざっていたり、別のものに置き換えることでコストを下げられるものがあったりして、こちらで設計し直す方がいい場合は多いですね。スタートアップだけでも年間数十件受けているので、『この部品の指定は、別の案件でこれに置き換えたことがあるから提案しよう』みたいな提案をチップやコネクター、通信モジュールと積み重ねていくと、コストも下がるし、製品としても安定するのでスタートアップにとってもハッピーです。そういう面でも相談は早い段階で来たほうがいいと思います」
製造業と関係のなかった人たちが、ハードウェアを作る時代
さまざまなデバイスがIoT化したことで、ストレージやデータ処理がクラウド側の役割になり、ハードウェア側の負担が下がったことは、深センでの量産の追い風になっていると藤岡氏は説く。部品点数が減り簡素化することで、品質のばらつきも出にくくなり、作業工数も「全てのデータ処理をハードウェア側で担っていたIoT以前の量産では1ラインに40人で2000個作っていた時代から、20人で4000個作るようになった」という。さまざまな報道で言われているように人件費の高騰や、深センという街自体が生産から研究開発にシフトしているのは事実だが、量産における深センの優位性は全く揺るがないという。
「深センがイノベーションとプラットフォームの街であるということは全く否定しないし、今後も加速していくでしょう。ただ、デバイスのサプライチェーンは消えない。深セン単体で見ると変化しているように見えますが、世界規模で見ればグレーターベイエリア(広東省、香港、マカオ)で生産を集約して、欧米に出していくというのは非常に効率がいい。人件費も電子機器は平均すると10%程度しか原価に影響しないので、価格が1割か2割上がる程度です」
将来的には人件費の高騰が原価にさらに影響を及ぼす可能性は否定しないが、深センにおける製造業とスタートアップのエコシステムの恩恵がある限りは、大企業からスタートアップまでの案件を上流から幅広く請け負い、他社の追随を許さない状況まで突き進みたいと藤岡氏は語気を強める。
「この20年の間に半導体もオーディオも液晶も、家電、パソコンに至るまで、みんな日本から無くなった。今、ハードウェアで勢いのあるところはJapanTaxiやソースネクストのような大企業にしてもスタートアップにしても、失われた製造業とは関係ない人たちがやっていますよね。ポケトークなんて、昔なら大手家電メーカーが出さなきゃいけないのに、それができないからソフトウェアの会社(編集部注:ソースネクスト)が出してヒットさせている」
そういった状況だからこそ、スタートアップの支援はできる限り続けたいと、藤岡氏は語る。
「日本の製造業はスタートアップに対して扉を開こうともしないし、そういうところとスタートアップをマッチングさせるような取り組みも被害者を増やすだけにしかならない。本当にスタートアップの量産を最初から最後までやっている人間が、きちんと向き合わないと、製造のうわべだけしか知らないようなコンサルタントにだまされてしまう」
日本国内の製造業に背を向けながらも、次世代の作り手には期待も寄せている。藤岡氏は自身が審査員を務めるハードウェアコンテスト「GUGEN」での出来事を挙げた。
「日本の将来が意外と悪くないなと思うのは、GUGENで大学生の女の子が自作で高齢者の見守りデバイスを作っていて、『ESP32を使ってる』とか『Seeedのモジュール』を使っているとか普通に言ってて。どうやって組んだのって聞いたら『周りにそういうのが好きな人たちがいるので、アドバイスを貰いながら自分たちでやりましたよ』って答えたのを聞いて、結構捨てたもんじゃないなと思いました。
良い時代を過ごしてきて、会社のロゴに縛られている従来の製造業の人たちとは距離をおいて、学生も含めて製造業の外にいる人たちと、新しい製造業を作り直したいですね。会社としては『大量生産=Foxconn』に対して『少量生産=ジェネシスHD』というところにたどり着くのが目標ですが、日本の製造業が本当に根絶やしにならないよう、新しい人たちと手を取り合っていきたいと思います」