作ってみたい! の次に行けないあなたへ necobitとサイバーおかんに聞く「Maker初めてストーリー」
非エンジニアが電子工作を始めると、必ずといっていいほど壁にぶつかると思います。私自身、Lチカから次のステップに進めず、電子工作から離れた時期があります。ある日、センサーの動作電圧の違いを知ったことで、一気に作れるようになりました。
他の非エンジニアは、どのように壁を乗り越えて、イメージを形にしているのか。Maker、アーティストとして活動を続けるお二人に伺いました。
積み重ねてきた努力が、ある日花を咲かせた 音楽×電子工作でMaker活動を続けるnecobit
まずお話を伺ったのは、電子楽器で使われるMIDIという信号を使って世の中の全ての物を動かすことを目標に、いろいろな基板を作っている、Makerでミュージシャンのnecobitさんです。
平間:ものづくりを始めたきっかけを教えてください。
necobit:10年前、トラックボールを自分で修理したときに、部品の型番を調べて秋葉原に買いに行ったことで、電子工作の世界を知りました。その時に「電子工作ができればMIDIで動く楽器が作れるかもしれない!」と思い、電子工作を始めました。
平間:私もnecobitさんと同じような経験があります。会社の古いシュレッダーが壊れたときに、調べてみたらセンサーが原因だと分かったので、600円の部品を取り寄せて修理をしました。その時の成功体験が「自分にもできる!」と思わせてくれたのかもしれません。
necobitさんは、電子工作をどのような経緯で始められたのでしょうか?
necobit:最初は、キットとして販売していたラーメンタイマーの作成でした。しかしキットを作ることはできても、一から自分で作るということが全くできませんでした。
PICマイコンでプログラムができることは理解したのですが、当時の開発環境がアセンブラ言語で、初心者の自分には書籍を読んでも理解ができず、諦めました。
平間:「キットを作れても一から自分で作ることができない」という感覚を私も持っています。necobitさんもそのように感じていたことにびっくりしました。では、どのようなきっかけで現在のようなMaker活動ができるようになったのでしょうか?
necobit:Arduinoを知ったことが大きかったと思います。ずっと『トランジスタ技術』を購読していて、そこで紹介されていたように記憶しています。PICマイコンと比べてArduinoはすぐ使えましたし、ネットにも情報が溢れていたので、すぐにMIDIを扱うことができました。20年前にMIDIを使って機械を制御する装置を見て、いつか自分でも作りたいと考えていたことが「今できるかもしれない!」と感じた瞬間でした。
イメージを形にできるようになると、今度はオリジナルの拡張基板を作りたくなり、自分で配線をはんだ付けして基板を作っていました。プリント基板に興味を持ち始めた頃に、日本から中国にプリント基板を発注できるようになり、基板発注用のデータを作成するツール「KiCad」が日本でも盛り上がってきたので、自分もKiCadコミュニティーを通じてさまざまな知識を得て自作することができました。当時は趣味だったので、仕事の合間を縫って3カ月かけてプリント基板を自作しました。
平間:製品の販売はどのように始めたのでしょうか?
necobit:「Maker Faire Tokyo 2018」で基板200枚を販売しました。しかし……結果は玉砕。いきなり大量の在庫を抱えてしまいました。良いものを作っている自負があったので、正直ショックでした。
平間:意外にも挫折があったのですね。
necobit:はい。Maker Faire Tokyo 2018での玉砕を受けて、良いものでも知ってもらえないと売れないということを実感しました。一方で、出展したことでMIDIを使ってMakeしている方や、タカハ機工さんとのつながりが生まれました(※necobitさんは自動演奏装置などにタカハ機工製のソレノイドを使用している)。そして、在庫を抱えて落ち込んでいたところに「第1回同人ハードウェアmeetup」に誘ってもらい、そこからさらに横のつながりが広がっていきました。
平間:私自身、電子工作の友達ができて、学びが一気に深まりました。necobitさんもつながりができたことで、ご自身の作品やアイデアに違いが出てきたのでしょうか?
necobit:自分は全てが我流で、電子工作の基礎をしっかり学んでいる人から見たら突拍子もないこともやってしまいます。リアルやソーシャルでのつながりができたことで、自分にはなかったエンジニアリング的な要素について学べるようになったと思います。例えば、ESP32というマイコンを動かす基板を設計し、その過程をTwitterなどで公開すると、さまざまな視点からフィードバックをもらえることもあります。
平間:ところで、necobitさんといえば“黄色い人”というイメージがありますが、このようなブランディングはいつ頃から考えられたのですか?
necobit:Maker Faire Tokyo 2018の失敗で、広報の必要性を強く感じました。具体的な事は考えていなかったのですが、出展時に作成したキャラクターのイメージと合わせて、黄色いツナギを着てライトニングトークをしたところ、“黄色い人”のイメージが一気に広がっていったように思います。2019年からは「黄色」をブランドのイメージカラーとして使用することにして、公の場に出て表現活動をする場合は全身黄色に統一しています。
平間:最後に、これからMaker活動や電子工作を始めたい方に一言お願いします。
necobit:アイデアやプロトタイプをアウトプットして、他の人から意見をもらうのが、一番学べると思います。自分は、TwitterなどSNSをメインにアウトプットして学びましたが、実際に聞ける人がいるのであればリアルでも構わないと思います。また、何を作ればいいのかわからない状態から電子工作だけで面白いものや新しいものを生み出すことは難しいので、まずは「自分の好きなもの×電子工作」で考えてみると、新しいアイデアが生まれやすくなる気がします。
平間:ありがとうございました。
初めて参加したヘボコンが世界を変えた サイバーパンク×電子工作でMaker活動を続けるサイバーおかん
次にお話を伺ったのは、サイバーアーティストのサイバーおかんさんです。
平間:ものづくりを始めたきっかけについて教えてください。
おかん:夫の転勤に伴い、独立してフリーランスになったのですが、他にも引っ越し、息子の保育園入園と、ライフスタイルが一気に変わったことで家族のつながりが薄くなった感じがしました。家族で一緒にできることを探していたときに「ヘボコン世界大会2016」の出場が決まり、そこでの経験がMaker活動の原点です。
ヘボコンではチームタナゴとして、ハムスターのカラカラ(回し車)を回して攻撃するマシンを作成しました。初めての電子工作は思ったように動かず、家族で意見を出し合い完成させました。大会当日は、出場者のさまざまなアイデアを目の当たりにし、家族全員が衝撃を受け、ヘボコンのとりこになってしまいました。以来、ヘボコンにはチームタナゴとして家族全員で参加しています。
平間:サイバーおかんさんの作品はインパクトがありますが、どのようなタイミングでアイデアを思い付くのでしょうか?
おかん:アイデアは何気ない生活の中で生まれます。例えば、「豆腐ライト」ですが、豆腐のパッケージが光ったら可愛いと思い作成しました。豆腐の容器は搬送やコスト面から薄くて丈夫です。光が透過したらきれいだと思いました。
おかん:「電飾帯」は、着物の帯は値段が高く、1本の帯で複数の着物に対応したいという思いからアイデアが生まれました。帯の結び方の1つにお太鼓という結び方があるのですが、その平らな面を生かせると思い、LED画面を取り付けました。
平間:生まれたアイデアはどのように形にしているのでしょうか?
おかん:アイデアを思い付いたら一気に作成します。途中で人から意見をもらうことはほとんどありません。上手くいかなければさらにアイデアを絞り出して、どんな形であれ必ず完成させています。日頃、技術やアイデアをインプットして、ここぞというときに一気に引き出しを開けて作るイメージです。作成後、作品のブラッシュアップを考えたりもしますが、その時の勢いと思い付きでできた作品は良い完成度なのでそのままにしています。
平間:電子工作などの実装でつまずくと手が止まってしまうことがありますが、おかんさんはとにかく一気に完成まで持っていくのですね。手が止まらない秘訣はどこにあるのでしょうか?
おかん:会社員時代の経験が生きていると思います。「下手くそでも良いから稼げるようになれ」と言われて徹底的にアイデアを絞り出す「企画100本ノック」を教わりました。そこでの経験が大きいと思います。
平間:なるほど、事前に情報収集して、アイデアを徹底的に考え抜くことで、一気に仕上げることが可能になるのですね。私もデザイナーですが、思い付いてから調査する時間が長いので、アウトプットに時間がかかることが多いです。「サイバーおかん」というコンセプトは、世界観が明確ですが、どのように生まれたのでしょうか?
おかん:コンセプト「サイバーおかん」は、最初に考えました。コンセプトをしっかり考えると、ブレないし、作るものも明確になります。そういう点でデザイナーという職業が役に立った気がします。
電子工作界隈は狭く、先進的な技術を使っていても一般には伝わりにくいことがあります。幅広い層の人にアイデアを届けるにはどうすれば良いか考えたときに、分かりやすいコンセプトが必要だと思いました。もともと、私はサイバーパンクが好きで、特に漫画『AKIRA』の世界観が好きなんですね。『AKIRA』の時代設定は2019年ですが、実際はそういう世界になっていないなと思い「日本をもっとサイバーに!」をコンセプトにしました。
平間:おかんさんは、デザイナーとしての経験を生かして活動されていますね。作品の中に「電脳」のネオン文字を背負う「セオイネオン」がありますが、どのようにアイデアを形にしたのでしょうか?
おかん:サイバーパンクが流行った1980年ごろ、映画などではネオン管が多く使われていました。対照的に、現代では青色LEDなどが多く使われていることに気付き、私が目指している世界はLEDが普及しなかった未来だとわかり「私が目指すサイバーな世界にはネオンが必要だ!」と思うようになりました。そんなとき、ネオンをアートとして残す活動をしている会社、アオイネオンをTwitterで知り、知り合いを通じてつながりました。
今までは、自分の頭の中で思い付いたイメージを自分の力だけで組み立てていました。今回、ネオン職人の方と共同制作をさせていただき、職人の方から妥協してはいけない所について教えてもらったことで、表現の幅に広がりが出たと思います。「セオイネオン」にはネオン管職人の技術が詰まっています。ネオンの曲げ方や文字の再現方法は職人ごとに異なるので、決して同じものは作れません。「セオイネオン」を近くで見ていただくと、仕事の細かさに驚かされると思います。
平間:最後に、これからMaker活動や電子工作を始めたい方に一言お願いします。
おかん:外に出てインプット量を増やすこと、特に自分の知らない世界を積極的にインプットすることが大切だと思います。そうすることで、アイデアを思い付いたときに形にしやすくなります。また、SNSやブログなどを使って積極的にアウトプットしていくことをおすすめします。あとは、テーマを決めて作成した方が作りたいものがブレなくて良いと思います。
平間:ありがとうございました。
インタビューを終えて
今回、お二人のMakerに電子工作を始めたきっかけ、アイデアを形にする方法を伺いましたが、共通していることは、「失敗しても成功しても、アウトプットをする」「自分のプロダクト、作品がより多くの人に届くようにコンセプトを意識している」「アイデアや実装(技術)について、普段から積極的にインプットしている」でした。
お話を伺う前は、お二人とも似たような失敗体験があるのではないか? と仮説を立てていたのですが、全く異なるアプローチ方法を取っていて面白いと感じました。そして、長い間インプットとアウトプットを続けていることに驚かされました。私は、ほとんどアウトプットができていないので、今後は積極的に、失敗も含めてアウトプットしていこう! と思いました。ぜひみなさんも、お二人のアイデアを形にする方法を参考にしてみてください。