「ファブラボで仕事作れますか?」から10年、ファブラボ鎌倉で得たリアルな学び
世界100カ国以上に存在するデジタル工作工房ネットワーク「ファブラボ(FabLab)」−−。日本で最初のファブラボの一つであるファブラボ鎌倉がオープンしてから10年が経ちました。
その間、日本各地にさまざまなメイカースペースやファブラボが誕生した一方で、経営の難しさから撤退を余儀なくされるケースも少なくありません。そんな中、ファブラボ鎌倉はどのようにして10年目を迎えたのでしょうか。立ち上げから現在に至るまで、ファブラボ鎌倉の運営に携わる渡辺ゆうかさんに振り返っていただきました。(編集部)
自分自身がファブラボのプロトタイプ第一号に
こんにちは、ファブラボ鎌倉の渡辺ゆうかです。たくさんの方々に支えられ、2021年5月15日にファブラボ鎌倉は10周年を迎えることができました。(大感謝)
2010年に『世界を変えるデザイン展』という展覧会で、ファブラボの活動を知りました。当時、MITメディアラボに留学していた慶應義塾大学SFCの田中先生(編集部注:田中浩也教授)は、その展覧会の最終日のセッションで、オンライン上での画面越しから「ファブラボは、(ほぼ)なんでもつくる」という言葉を繰り返していました。
美大を卒業し、都市計画事務所やデザイン事務所を経て、交通事故後のリハビリをしていた自分にとって、「つくる」ことの可能性を広げてくれるように思えました。ファブラボに置いてある3Dプリンターやレーザーカッターなどのデジタル工作機材で、何か特定の物体を「つくる」興味よりも、ファブラボ特有の各国に分散しつつも、運動体のように拡張性する世界観に未来の社会のOS的な役割に可能性を感じていました。これから起こるであろうOSの上に、新しい働き方や仕事のあり方が生まれてくる状況にワクワクしたことを今でも覚えています。
すぐに発足したばかりのファブラボジャパンネットワークに参加し、その年の夏のイベントで、田中先生と初めて対面で会うことができました。これから日本にはじめてのファブラボを設立して、この価値観を日本に拡げていきたいと話してくれた田中先生からは、「渡辺さんは、何が作りたい、何をしてみたい?」と質問され、無意識のうちにこう答えました。
「ファブラボで仕事が作れますかね?」
「そこまで考えてみなかったので、渡辺さんがやってみれば?」というのが、田中先生の答えでした。この先、どう生きていこうと模索していた自分にとって、何かがピタリとハマった瞬間でもありました。「自分が、実験台になればいいんだ」と、自然に思えたのは、運命だったのか、向こう見ずな楽天家だったのか、思い出すとなんだか笑ってしまいます。
こうして、2011年4月に田中先生が帰国するのに合わせて物件を探し契約し準備を進め、同年5月15日にファブラボ鎌倉を田中先生と共同で立ち上げ、運営を開始することになります。とは言っても、当時仕事をしていない私が、賃貸契約できる訳でもないので、田中先生が賃貸契約、車を買うために貯めていた貯金は、レーザーカッターなどの機材購入費などに当てられています。まずは、場所をつくってその意義を広げていくということで、東アジア初の(ほぼ)なんでもつくる場所は、個人の想いと資金管理から始まりました。
ファブラボ運営は簡単じゃないーー自転車操業の日々
日々の活動をしていくための家賃や光熱費も毎月かかってきます。2012年から合同会社ファブラボ・カマクラ(2015年に一般社団法人 国際STEM学習協会に組織変更)を立ち上げたのを機に、ファブラボ鎌倉の代表を田中先生から引き継ぐことになりました。会社の代表ということに一瞬テンションが上がりましたが、すぐにそれは施設運営の全責任を伴うものだということを思い知らされることになります。
期末決算等の法人化に伴う煩雑な事務処理作業ももれなく付いてきました。ファブラボに出会うまでは、どこかに所属して、給与をもらっていた「私」にとって、見えないコストを知る日々が始まりました。そして、当時のファブラボ鎌倉は、想いはあっても収益を生むような「仕事」はありませんでした。そのため、社会起業家を支援するプログラムに応募し審査が通過し、活動費をもらいながら先輩事業家の方々と知り合いながらいろんな知見を増やしていきました。
運営費を賄うためにクラウドファンディングをしたり、レーザーカッターで木製パズルを作ったり、叫ぶと光るTシャツを作ったりと、文字を大量に切り出して観光客向けに販売したり、思いつく限りのことはほとんどやってみました。それでも、運営は自転車操業状態。来月の家賃をどうしようと眠れなくなったりと、なかなかスリリングな日々が続きました。初年度の会社自体の売上は、50万円くらいだったような気がします。
そんな状況だからこそ、特に実績のない私に、事業計画や経理のことを根気よくアドバイスしてくれたり、家族はじめ身近な人の理解に、どれほど支えられたかわかりません。助けられるという経験は、それまで見えなかった大切な何かを気づかせてくれるから不思議です。
大事なのは、周りに伝える勇気
溢れんばかりの想いがあっても、事業として成り立たないと活動は維持できません。自分と同じレベルの想いを、いきなり他の人に強いるのは、無理な話です。それが理解できなかった頃は、自分や他者に「苛立ってばかり」いました。当たり前ですが、とても消耗する日々が続きました。楽しいはずの活動が、「なぜ、こんなにしんどく、疲れるのだろう」「楽しいと思えない」といった悪循環に陥ってました。そこで、「苛立ち」の根源を改めて考えた時、それは自分が他者に対する期待値と現実の差異から発生する「自分本位な思い込み」と仮説を立てました。
さて、どうやったら相手が自分の想いを理解し、お互いが気持ちよく目的までの時間を効率的に過ごすことができるか。気持ちを切り替え、より良い関係性構築への試行錯誤を始めました。
まず、「そうなってほしい状況」(ゴール)を、「目的をともに目指しながら関わりあう人たちと楽しい時間を過ごすこと」、と設定しました。まず、私が相手の大切にしているところを理解することが必要なので、なぜ関わろうとしてくれているのかのヒアリングしていきました。次に、ファブラボの活動をどうやって活かしていけるなど、双方で目指せる目標を設定するなどコミュニケーションを重ねていきました。そうしたプロセスを通じて、私に欠けていたのは、近くに人はたくさんいても、その人たちへの深い部分での理解だったり、相手に応じた柔軟な関わり方のデザイン、そして素直に「この部分を、助けてほしい」と言える勇気だったのだなと感じています。そうした改善を繰り返しているうちに、気持ちのあり方や関わる方との関係性が良くなっていっていきました。
気持ちが楽になっていった頃から、朝ファブからコワーキングメンバーとしてファブラボ鎌倉に関わってくれ家賃などの固定費軽減に寄与してくれる方々、朝ファブ参加者からいつしかメンバーになってくれバックオフィス業務をサポートしてくれる方など、いろいろな方々の存在により、事業自体が少しずつ安定していくようになっていきました。収益性は高くなくても、全世界のファブラボネットワークとつなぎながら「(ほぼ)なんでもつくる講座」であるファブアカデミーを継続して実施することで、結果的にファブラボ鎌倉のインストラクターとして関わってくれる人たちに出会うことができました。
法人化した当初は、当たり前のことを、実は当たり前にできないジレンマ。「一人でラボを回さなきゃ、家賃を払わなきゃ、預金は減っていき気持ちは追い詰められるが、みんなには言い出せない」という状況で空回りしていました。
ですが、思い切って関わる方と運営面の課題を共有し、現状の数値化をしていきました。その上で、それぞれの想いを合わせて議論を深めて改善させていく。いい状況ではなくても、時間に余裕があれば改善策は取れる。時間的余裕があれば、そうしたプロセスも成長する楽しみの醍醐味であるのだと知りました。まだまだ改善点はたくさんありますが、ファブラボ鎌倉は、関わる人たちとその人らしい暮らしかたに寄与する持続可能な事業モデルとは何かを常に模索しています。
これからの10年、何を目指していくのか?
人生には良い時と、そうでない時があります。その時間が、どういう意味を持つ時間だったのかは、結局は時間が経って振り返ってみないとわかりません。ファブラボ鎌倉がどういう意味を持つのか、私が語るというよりは関わる人それぞれが感じることが、「答え」だと思っています。ファブラボを運営した取り組みを少しお話しさせていただきました。いろんな実績の話もしつつ、そうした中でどんなことに迷い、何をしてここまでに至ってるかを共有させてもらいました。活動にもよりますが、何かを一人でやったり、運営し続けていく事は、とてもしんどいです。一方で、たくさんの人と関わりながら進むことを知ると、生きる喜びにもなったりします。「一緒につくることの価値」をファブラボ鎌倉の運営を通じて、日々学んでいます。
一人で思い描いていたらただの夢ですが、その夢を10人、100人と多くの人と共有できれば世界観となり、その間を埋めていけばどんどん現実味を帯びてきます。これからの10年、年齢問わずそうした夢を描き、カタチにしようとする人たちを後押しする活動を展開していけたら本望です。
今後とも引き続きよろしくお願いいたします。
10周年記念として、トークイベントを実施しました。
設立当初から関わった方々の当時と今、活動を通じて関わった方々の今など、ベンチャー、クラフト、教育、地域プロジェクトなど切り口はさまざまです。良かったらご覧ください。