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工芸作家 木谷洋インタビュー

工芸とアートの交差点に立つ若き工芸作家、木谷洋が見出した自分にしかできない使命

自らの作品を手に取り、制作プロセスを語る木谷氏。現在は大学時代の先輩である金工作家の古田航也氏と共同で工房を構え、制作にいそしんでいる。 自らの作品を手に取り、制作プロセスを語る木谷氏。現在は大学時代の先輩である金工作家の古田航也氏と共同で工房を構え、制作にいそしんでいる。

木谷氏は1988年に奈良県で生まれた。図工が好きで地元の絵画教室に通う子ども時代だったという。その教室の先生が彫刻出身だったことから立体造形に関心を持つ。高校では美術と関係ない高校に進学したが、作ることへの思いが捨てきれずに浪人生活を経て2013年に金沢美術工芸大に入学した。伝統工芸の集積地である石川県のお膝元にある大学では、芸術性と技術力の兼ね揃えた加工技術を重視する工芸の考え方に初めて触れた。

元来、茶碗や皿といった日用品や道具だったものが高度な技術を経て、芸術品に進化したのが工芸品だ。その過程の中でルーツである日用品の枠組みから外れ、オブジェのような作品も評価されている状況を見た木谷氏は、そういったトレンドに逆流するアプローチに興味を抱いた。それは工芸品はかつて日用品だったというルーツに立ち返り、工芸の可能性を違う形で突き詰めるという手法だ。

一枚の真ちゅう板から作られた鉈(なた)。全て手作業で制作する。 一枚の真ちゅう板から作られた鉈(なた)。全て手作業で制作する。

「アート作品のようだと言われることが多いのですが、アートを目指していたわけではありません。工芸の可能性って何なんだろうと、突き詰めた先に『現代アート思考だよね』と言われるようになった、という感じです」

しかし、そういったスタンスは工芸の本流からそれた考え方であり、アートとも違う立ち位置にあったため、大学在学中は評価されない時期が続いたという。

ターニングポイントとなったのは学部生時代の卒業展示だった。2013年当時、金沢21世紀美術館の館長で審査員だった秋元雄史氏が、木谷氏の作品に審査員賞を授与したことから展示会やイベントに招かれるようになった。工芸と現代アートに造詣が深い秋元氏は木谷氏の作品と制作プロセスを高く評価した。

「機械を使わずにひたすら手で磨いたり削っていることに対して、『バカだなぁ』と秋元さんは笑いながらも、自分のコンセプトを正しく理解してくれました。工芸展に出しても『これは工芸ではない』と言われ、アートの展示に出しても『アートではない』と言われて行き場がなかった時期に、工芸展も企画してアートにも精通している秋元さんに自分の作品を評価してもらえたことは大きな励みになりました」

当時、木谷氏のように工芸の中に現代アートの要素を見出す若いアーティストが出始めていた。現在では現代アートの要素をはらんだ工芸品で世界に進出するという流れができている。しかし、木谷氏が現在のアプローチで製作し始めた頃、理解者は決して多くなかったという。

その後、木谷氏は大学院に進学して共同展にも出展し、工芸とアートの中間地点にいる若手作家の一人として認知されるようになった。

再構築しつづけながらも機能性を保つということ

私達がホームセンターで工具を買うように、農家も大量生産された農機具を使うことが当たり前になった。「鍬 -塚門-」と題された作品は、農家からのヒアリングを基に鍬(くわ)を制作。実際に使ってもらうことで経年劣化も作品の要素として取り込んでいる。 私達がホームセンターで工具を買うように、農家も大量生産された農機具を使うことが当たり前になった。「鍬 -塚門-」と題された作品は、農家からのヒアリングを基に鍬(くわ)を制作。実際に使ってもらうことで経年劣化も作品の要素として取り込んでいる。

日用品というルーツを保ちながら、芸術性の高い工芸品にする上で重要なことはなにか尋ねると、木谷氏は構造の維持が重要だと語る。

「弥生時代の銅鐸は、もともとカウベル(家畜用の鈴)だったものが、五穀豊穣を願うお祭りの道具として進化したといわれています。こうした発展の仕方が僕は面白いなと思っていて。例えば、以前に製作した「豆植え棒」も、豆を植えるための道具としての機能は残しつつも、銅鐸がたどった歴史をシミュレーションするかのように変化させて、もともとの構造は保ちつつも違う形で作品にするということをやっています」

道具の本質を知る

制作活動を続けていく上で、常に考えているのは人とものの関係性だという。
「農家の人が山に入って行くとき、その辺に生えている木の枝を切って熊や野生動物に存在を知らせながら野山に分け入るそうなんです。なんの変哲もない一本の枝が加工されて、その場にふさわしい道具になる。使い勝手が良ければ、家に持ち帰ってしまっておく——そういった関係性を突き詰めて作品にしたときに工芸品ではなく、コンセプトを尊重する現代アートとして見られるようになった気がします」

作品に込められた技術や素材の美しさを重視する工芸品に対し、現代アートでは作者にしか思いつかない発想やコンセプトといった独創性が重視される。木谷氏の作品は工芸に学んだ確かな技術と職人性はありながらも、アプローチは極めて現代アートと同質だ。そのため、シンプルな構造の作品であっても制作には工芸品同様に膨大な時間をかける。

どれだけ進化しても、起点は尊い

同世代のアーティスト、葛本康彰氏との共同制作を展示した「葛本コレクション」の様子(2018年2月27日~3月10日) 同世代のアーティスト、葛本康彰氏との共同制作を展示した「葛本コレクション」の様子(2018年2月27日~3月10日)

原点に対する敬意と妥協しない制作プロセス。そこには歴史の起点に対する敬意と、新たな起点になりたいという強い意志がある。

「技術の動向を見ると起点になる人っていますよね。そういう人は尊いなと思うのと同時に、自分も(道具に回帰するということに)気づいたのだから起点となってやるべきだなと思います」

インタビューの最後に今後について尋ねると、今の手法にこだわらず新たな制作手法やプロセスを模索しながら、次の起点も見出したいと木谷氏は抱負を述べた。

「京都で彫刻をやっている友人(葛本康彰氏)と共同で制作した作品の展覧会をやった際に、彼が舞台美術の仕事で使った足場や木材を解体して絵画のパネルに作り変えました。パネルに演者の足の動きが見えるような跡が残っていたりして、人と道具の関係という意味では面白いアプローチだなと気づきました。今後は工芸というメディアだけじゃなく、表現の幅を広げていきたいなと思います」

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