全自動ルービックキューブで世界に衝撃を与えたMaker蕪木孝
「世の中を驚かせるようなことをやってみたい」
「会社をやめて、やりたかったことに挑戦したい」
生きていればこのどちらかを一度は思い描いたことがある人も少なくないだろう。けれども、どちらか片方だけでも実現するのは簡単ではない。ましてや、両方を実現できることなど到底不可能に思える。
2018年秋ごろ、インターネットで突如話題になった全自動ルービックキューブをご存知だろうか。その名の通りルービックキューブそれ自身が自動で回転してパズルを解くガジェットで、YouTubeに動画が投稿されると一気に話題になり、200万再生を記録した。その後、テレビでもたびたび紹介され、海外にも飛び火してヨーロッパのメディアでも話題になった。
作者の蕪木孝(かぶらぎ・たかし)さんは、昼夜問わず謎のガジェットを開発するMakerだ。世界が驚くようなものを作りたいと思い、16年勤めた会社を退職し謎のガジェットを日々開発しているという。冒頭の「会社をやめて、やりたかったことに挑戦したい」を実行し、「世の中を驚かせるようなことをやってみたい」を全自動ルービックキューブでやってのけた蕪木さんとはどんな人物なのか。これまで制作した作品も紹介してくれるということで、蕪木さんのもとを訪ねた。(撮影:加藤甫)
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蕪木さん
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「今日はよろしくお願いします!」
——リアクションに困るお出迎えありがとうございます! なんですか、これは?
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蕪木さん
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「ローリングサンドイッチマンという作品で、イベント会場での宣伝や店舗のPRに使えます。無視することができないビジュアルで猛烈にアピールできるのが特徴です!」
——たしかに強烈なインパクトはあるけど、クセが強すぎて宣伝してる内容が頭に入ってこないんじゃないですか?
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蕪木さん
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「そうですか? イベントにも何回か出ましたけど、結構評判いいですよ」
——お店のPRを依頼されたことはあります?
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蕪木さん
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「無いですね」
——そうですよね。分かります。
——このヘッドギアみたいな奴は?
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蕪木さん
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「ヒューマンコントローラーですね。自分の屋号にもなっている代表作です。ヘッドギアの四方にソレノイドが仕込んであって、リモコンのボタンと連動してソレノイドが動き装着した人に指示を送ります。とりあえずやってみましょうか」
——無表情なのはロボットを意識して?
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蕪木さん
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「そうですね」
——人間を操作するって聞くと危ないことを想像するけど、実際にやってみると自分がくだらないのか、ロボットを演じてる蕪木さんがくだらないのか分からなくなりますね……。
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蕪木さん
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「海外のMaker Faireにもこれで出展したことありますよ」
——子どものほうが食いつきそうだけど、操作してる子がなんとも言えない表情なのが印象的ですね……。
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蕪木さん
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「積極的に呼び込みして、朝から晩まで操作されっぱなしでしたよ」
——自分を操作してくれって呼び込みするの、Maker Faireじゃなかったらギリギリアウトですよ。それにしてもソレノイドが頭を突っつくわけですよね。結構痛くないですか?
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蕪木さん
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「思ってたより痛いですね。ずっとやってると結構キツいです」
文字通り世界が驚愕した全自動ルービックキューブ
——そして、これがネットで話題になった全自動ルービックキューブですね
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蕪木さん
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「ルービックキューブの中にサーボモーターとバッテリー、センサーとマイコンを入れていて、適当にルービックキューブをぐちゃぐちゃにしてから机に置くとプログラムが走って、きちんと解くようにしています」
左が本家のルービックキューブの内部で、右が蕪木さんの全自動ルービックキューブの内部。限られたスペースにセンサー、バッテリー、マイコン、そしてサーボモーターが格納されているのは見事としか言いようがない。
内部の駆動部分だけ取り出したもの(右)。当初サーボモーターを左のように単純に組み合わせてみたが、うまくいかずにCADソフトを使って試行錯誤したという
大型のモデル(左)を試作した後に、実物大のサイズ(右)に収めることに成功したという。本物のルービックキューブと全く同じサイズにするのは蕪木さん自身も実現不可能だと思っていた。
——動きをよく見ると迷っているように見えたり、遠回りして解いているようにも見えて、人間味がありますよね
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蕪木さん
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「実は人間が混ぜた手順の逆再生ではなく、人間がルービックキューブを解く際の思考やメソッドをベースにしたプログラムが入ってるんです」
ルービックキューブは1970年代後半に考案され、日本でも80年には販売を開始している。蕪木さんいわく、誕生から約40年の間に解き方も進化しているそうで、さまざまな手法が開発されている。蕪木さんは全自動ルービックキューブを開発するに当たって、ルービックキューブの解き方をイチから学んだ。
プログラムの開発で最初に参考にしたのはマイコン情報誌「I/O」の1981年3月号に掲載されたルービックキューブに関する特集記事。当時は200手ほどを要する解き方だったが、蕪木さんは現在の早解き競技者が使用する解き方を採用して、50手程度で解くことができるという。
——なるほど、だから人間らしさを感じるんですね。
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蕪木さん
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「逆再生は機械としての面白さだけじゃないですか。考えて解くからロボットとしての面白さもある。全自動ルービックキューブはロボットのつもりで作っています。もともとはルービックキューブが好きな人達に喜んでもらいたくて作っているので、人間と同じように解かせたかったんです。ルービックキューブを1秒以内で解く、すごいマシーンがあるんですけど、それに影響を受けて『ルービックキューブ自身が解いたら面白いのでは』と考えました」
——どういう仕組みなんですか?
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蕪木さん
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「ルービックキューブが回されたことを検知するセンサーが内部に入っています。揃った状態からどう回されたかをセンサーでずっと追っているので、常に色の配置を理解しています。机に置くと、そのときの色の配置から解く手順を自ら考え、それに従ってモーターを動かして解きます」
——YouTubeと「ものづくりログ※1」に公開後、ものすごい反響だったようですね。
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蕪木さん
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「たくさんのWebメディアに取り上げていただきました。WBS(テレビ東京のワールドビジネスサテライト)や、NHK BSのお正月特番にも取り上げていただいて、大学の柔道部仲間から久しぶりに連絡が来ましたけど(笑)」
※1蕪木さんが開発拠点にしているDMM.make AKIBAのブログメディア(現在は公開終了)。
——スペインのテレビ局に招待されて、スペインまで行ったんですよね?
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蕪木さん
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「それがリハーサルではちゃんと動いていたのに、なぜか本番では動かなくて。3回チャンスをもらったんですけど、3回ともなぜか動かず……」
——うわぁ……。想像するだけで心臓に悪い。
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蕪木さん
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「向こうの人も『そういう時もあるよ』って、やたら優しくて。少しでも失敗を取り返したくて、残りの滞在日はホテル近くの公園で、ヒューマンコントローラーを装着して、ずっと操作されてました」
——リベンジとして、自らロボットになりたかったんですね……
16年働いた会社をやめてMakerの道へ
——ところで蕪木さんはどんな経緯で今のような活動を始めたのか、聞いていきたいんですけど、昔からものづくりが好きだったんですか?
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蕪木さん
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「人並みですよ。子供のときに秋葉原で部品を買ってラジオを作ったりしたことがあるぐらいで」
——文系の僕からしたら、十分ガチですよ。プログラミングも昔からやってたんですか?
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蕪木さん
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「公民館のバザーで1000円で買ったPC-8001※2がきっかけですね。そこから、そんなにプログラミングは真剣にやってなかったけど、大学の時にマイクロマウス※3にはまって、アセンブラでひたすらプログラミングしてました」
※2 NECが1979年に発売した8ビットのパーソナルコンピューター。当時の価格は16万8000円。蕪木さんが1000円で買ったのは1989年ごろ
※3 自律ロボットが迷路を探索し、ゴールするまでの最短時間を競う競技
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蕪木さん
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「大学は工学部で、部活で柔道部に入ってました。その時に大学内の行事で模擬店を出すことになって、縦方向に回る看板を作ったんですよね。それをウェアラブルにしたのが最初に紹介したローリングサンドイッチマンです」
——あれもウェアラブルって言っていいんですね。大学卒業後は就職?
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蕪木さん
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「はい、法人向けのソフトウェアを扱っている会社でフィールドエンジニアとして16年間働きました」
——その時も何か作ってたんですか?
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蕪木さん
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「会社の忘年会でビンゴに代わるものを作ろうとして、考えたのがヒューマンコントローラー」
——あれがビンゴにとって代わる要素が全く分からない
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蕪木さん
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「頭に箱をかぶった状態で誰かが操作すると箱の中に仕込んだライトが光るので、その通りに動くという人間UFOキャッチャーみたいな形が最初のモデルですね」
——なるほど。なんで、そんなものを作ろうと思ったんですか
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蕪木さん
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「忘年会の幹事だったんですよ。そうすると何か面白いことをやりたいじゃないですか。最初は有線で作ったんですけど、自分の送別会の時に無線モデルを作って送り出してもらいました」
——そんな送別会見たことない。ところで、どうして16年も勤めた会社を辞めたんですか
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蕪木さん
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「仕事も好きだったし、人間関係も給料に不満があったわけでもなくて。でも、大きい仕事が終わって一段落したときに、今の仕事を続けていくのは無理だなってぼんやりと思うようになったんですね。その時にTVでたまたまDMM.make AKIBA(以下、AKIBA)のCMを見て」
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蕪木さん
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「それを見て『いいなぁ』って思ったんですよね。どこかの廃工場に住みついて永遠に作業していたいなぁっていう夢があったんですよ。それで会社の夏休みにAKIBAに行ってみてピンと来るものがあれば会社を辞めよう、何もなかったら会社員を続けようと思って会員登録して1日利用券を試しに買ってみたんです。
そうしたら完全にハマっちゃって。朝までずーっといて、いったん家に帰ってまたAKIBAに行くっていうのを夏休みの間繰り返してて。電子工作のワークショップに参加したり、CADを勉強して3Dプリンターを初めて使ったりして」
——完全にドハマりしたわけですね
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蕪木さん
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「秋からは月会員になり、家も秋葉原の近くに引っ越して、翌年の春に会社を辞めました」
以降、蕪木さんは会社員時代の貯金を切り崩しながら工作に没頭している。いつまで続けるかは分からないが、インタビューした時点では「もう1年ぐらいは続けられる」と語っていた。ちなみに蕪木さんは作品作りを「仕事」と呼んでいる。
知らない人が腰を抜かすところを見てみたい
対価を得るわけでもなく、ひたすら好きな「仕事」に没頭する蕪木さん。そのモチベーションはどこから来るのか。
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蕪木さん
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「ウォーってなるものを作りたいんですよね。遠くの国の知らない誰かが自分の仕事を見て、腰を抜かしたらそれが幸せ。私たちだってそういう動画を見たいじゃないですか? バスタブをドローンにしちゃう動画とか、腕にジェットエンジンつけてアイアンマンみたいに飛んじゃう人とか、ああいう『ウォーってなるもの』を作りたいんです」
DMM.make AKIBAで知り合った人からMaker Faireを教えてもらい、企業も個人も面白いものを作るMakerの世界に感動し、すっかりハマったと話す蕪木さんの目は生き生きとしている。
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蕪木さん
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「DMM.make AKIBAに来たばかりの頃にMaker Faire Tokyoを教えてもらって、いろんな作品を見て『自分もこうなりたい』って強く思いました。みんな作ってるものにこだわりがあるのが良いですよね。海外のMaker Faireにもヒューマンコントローラーで出展しました。言葉は通じなくても全然問題ない(笑)」
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蕪木さん
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「ソレコン※4も面白いですよね。初めてMaker Faire Tokyoに行った時にタカハ機工のブースを見て、こんなことをやってる企業もあるんだなぁって興味を持って、過去に2回応募してるんですけど、これは今作ってる応募作品の試作ですね」
※4 福岡県飯塚市で機械部品のソレノイドを開発・製造するタカハ機工が主催する、ソレノイド縛りのハードウェアコンテスト。コンテストを始めたきっかけはこちらのインタビューに詳しくまとめています。
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蕪木さん
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「おならを遠隔操作で噴射するマシーンです」
インターネットを通じて自分の作品を公開することも、Maker Faireのような展示イベントで自分の作品を披露することも珍しいことではなくなった。しかし、会社を辞めて秋葉原の工房で人知れず作品を作り続けていた蕪木さんが世界中を驚かせた状況にリアルタイムで立ち会うと、世の中にはまだまだ驚くべき才能を持った人がいることに気付かされる。人のアイデアと行動は常に新しくありつづけるべきなのだ。
Makerとして道なき道を爆走する先にどんな未来があるのか、結構明るくて笑える景色が広がっているのかもしれない。
ちなみに最後に紹介した「おならを遠隔操作で噴射するマシーン」は「おならボール」という名前で応募し、見事第6回ソレコンの大賞を受賞した。
スゴいよ!!蕪木さん。