未来の窓でSFを実現——風景のNetflixを目指すアトモフ
SFは常にMakerやデザイナー、エンジニアたちにインスピレーションを与え続けてきた。作品に登場したものが数十年後に実現したケースは枚挙にいとまがない。
「2001年宇宙の旅」(1968年)で登場したタブレットコンピューターや「バック・トゥ・ザ・フューチャー2」(1989年)に登場したドローンは既に誰もが知っている機器になった。「トータル・リコール」(1990年)に登場した自動走行車は、私達が生きている間に実現しうる可能性を秘めている。最近では「マイノリティ・リポート」(2002年)や「パーソン・オブ・インタレスト」(2011〜2016年/テレビドラマ)に登場したような犯罪予知システムが、イギリスや中国で実験的に導入された。
室内の窓に話しかけると、AIが反応して、さまざまなデータを映し出す。宇宙船の窓には地球の美しい風景が映されていて、地球とテレビ電話でつながる——便宜上「スマートウィンドウ」と呼びたいこのデバイスもSF映画でよく見かけるが、2019年になった今も映画に登場するような製品は登場していない。
京都で2014年に創業した「アトモフ」は、このスマートウィンドウを「Atmoph Window」として製品化、公共空間から個人の部屋にまで普及させようとしているスタートアップだ。
創業者の一人でCEOの姜京日(かん・きょうひ)氏は、SFを愛するエンジニアで、自身の体験からスマートウィンドウの開発を決意し起業したという。未来のデバイスを開発するスタートアップの製品化までの経緯と、それを普及させるための舞台裏と戦略について取材した。(撮影:逢坂憲吾)
アイデアにテクノロジーが追いつくタイミング
スマートウィンドウを発想した最初のきっかけは、姜氏が2004年に米国に留学していた時にさかのぼる。ロボット関連の研究者への夢を抱いた姜氏は、小さな部屋で毎日勉強に明け暮れていた。
「当時は日々勉強漬けでストレスが溜まっていて、ふと自分の部屋を見回した時に小さな窓から見える景色が隣のビルの壁だったことに気付いて、この閉塞感しかない景色もストレスの一因になっているんじゃないかと思いました」(姜氏)
試しにテレビやコンピューターのディスプレイにビーチの画像を映してみたが、何かが違う。それ以降もiPod touchのような小型デバイスに映してみたり、プロジェクターで投影したりと試行錯誤したが、どれもしっくり来なかった。
帰国後、姜氏は企業に就職。NHN Japanを経て、京都にある任天堂の開発部門で「Wii U」のオンラインストアのUIやゲームと連動したネットワークサービスの開発に従事していた。日本に戻ってからも留学中に感じていたストレスを解消するデバイスを模索していた姜氏だったが、転機を迎えたのは2013年ごろだった。
「液晶の薄型化と低価格化が進み、Raspberry Piのような低価格なコンピューターも普及し始めていたし、4Kカメラも出てきたタイミングで、これらを組み合わせればイメージしていたものができる」と思った姜氏は起業を決意する。真っ先に声をかけたのは任天堂に同期入社し、同じ部署で働いていた中野恭兵氏だった。
「中野とは1年ぐらい任天堂で一緒に働いていて、ものすごく優秀なエンジニアだと思っていたので、もし起業する時に彼が来てくれたら百人力だなと思っていました」
呼びかけに応えた中野氏と姜氏は共に任天堂を退職し、姜氏の妻でグラフィックデザイナーの垂井洋子氏も加えて3人でアトモフを創業した。
ハードウェア量産経験ゼロから製品化にこぎ着けるまで
薄型液晶パネルとAndroid OSの入ったコンピューターを使い、世界中の風景が常に流れるスマートウィンドウを開発するというコンセプトは固まったが、量産にこぎ着けるまでに2年の月日を要した。
デジタルサイネージのような商用のディスプレイでもなく、デジタルフォトフレームよりも大きなサイズで、流れる風景もこだわったものを映したい。世の中にありそうでなかったAtmoph Windowの製品化は資金面と製造面で難航を極めた。スマートウィンドウのような製品の市場は無く、類似の製品も無いためリスクが高いとみなされ、VCの反応も冷ややかだった。
そこで製造パートナーが見つかり、見積もり額からおおよその原価がわかったタイミングで、KickstarterとMakuakeでクラウドファンディングを実施し、自分たちのコンセプトが受け入れられるか検証した。その結果、2サイト合計で約2500万円の支援を集めることに成功した。しかし、それですんなり製品化とはいかず、多くのハードウェアスタートアップ同様に「量産の壁」にアトモフも突き当たることになる。
「ハードウェアの量産は初めての経験でした。当時は分からないことも多く、当初想定していた製造原価には全く収まりませんでした。金型の修正費用やソフトウェアのバージョンアップに関わるコストを見込んでいなかったり、不良品率を考慮していなかったりといったことが積み重なり、コストは当初の想定の3倍程度に膨らみました」
ソフトウェアやWebサービスのように「こう打てば、こうなる」とはいかないハードウェアの世界は想像以上に厳しいものだったと姜氏は当時を振り返った。
その頃、姜氏はハードウェアに特化した京都のVC「Makers Boot Camp(以下、MBC)」が主催する、スタートアップ向けのアクセラレーションプログラムに参加していたことから、MBCに量産に関するメンタリングを依頼した。苦戦していた量産も事前に発生しそうなトラブルと、その回避策の指南を受けたほか、さまざまな工場や倉庫の紹介を受けたことで量産も前進した。想定を超えたコストは、VCからの資金調達や日本政策金融公庫からの資本性ローンで約1億円を調達してカバーした。
こうしてクラウドファンディングから約2年をかけてユーザーに製品を届けることができた。その後、一般発売も開始し、2016年10月から2019年3月現在までに約2000台を出荷している。
まねできるようで、できないアトモフの戦略
スマートウィンドウという新しいプロダクトを社会に浸透させるにあたって、アトモフが心血を注いでいるのが、「窓に映る風景」としての動画だ。
動画は全て自社オリジナル制作にこだわり、これまでに約3000本を撮影し、1000本を販売しているというのだから、その本気度は半端ではない。国内外で活動する10人のカメラマンと社内のビデオエディターが連携して動画を制作、動画の撮影方法や映像編集にもカメラマンとアトモフが二人三脚で培ってきたノウハウが詰め込まれている。
「風景写真のようなインパクトは求めていません。毎日見ていても疲れない景色であることを大事にしています。カメラマンと何度もテストし、試行錯誤を重ねました」
オンラインストアに並ぶ動画のクオリティや色味を統一するため、派手な絵にしないことや個性を出さないことをカメラマンに求めているという。色の調整もアトモフの映像編集者が調整するので、カメラマンは自分の個性を出さないで、ベストな映像を撮ることを求められる。
「完成品を出すのではなく、ベストな素材を撮るのがカメラマンの役割です。プロのカメラマンにお願いしづらい内容ですが、場所が持つ迫力や魅力は必要です。どのカメラマンもベストな映像を撮るために撮影場所に張り付き、ギリギリまで粘って映像を収めてくれます」
姜氏はゲーム業界とWebサービス業界で培ったUI(ユーザーインターフェース)と、圧倒的な量と世界観が統一された映像コンテンツが競合との優位性だと力説する。
「コンテンツとサービス、UIの複合体がアトモフの強みです。風景のNetflixになることを目指して、大企業でもできないスピードでやっているという自負があります」
こうしたスピードを担保する上で、選択と集中は重要だ。
「アトモフのコンテンツをテレビに組み込まないかという話をよくいただきますが、全て断っています。テレビに風景を映し出すと、それは景色ではなく番組になってしまう。些細なことだけれど、そこには大きな隔たりがあります。私達は窓というインターフェースにこだわっていて、スマートウィンドウという市場を作りたいというビジョンがあるので、そこから外れるようなことはしません」
テレビとの大きな違いは複数台を設置しても違和感がないことだという。現に複数台を購入して設置しているユーザーもいて、ロビーに55インチの大型モデルを3枚並べているホテルもある。法人向けの用途ではサイネージにできないかという話もあるそうだが、これも全て断っているという。技術的には実現できることでも、自分たちの描くビジョンとプロセスを重視し、その上で必要な要素にフォーカスするというのが現在の戦略だ。
テレビと違うのは常時電源が付いていることと、そこに違和感を覚えない適切なサイズだということだ。AmazonやLINEなどスマートスピーカーを開発している企業がディスプレイ付きのモデルを発表しているが、液晶のサイズが小さすぎてユーザーにとっては不便な点が多いと姜氏は指摘する。
「テレビとは異なるユーザー体験を提供し、人にとって適切なサイズ感、常時動いていても、複数台あっても違和感がないフォーマットという意味で、スマートディスプレイが行き着く先は窓だと思います」
やらないほうがリスクになる時代
スマートウィンドウの普及に向けて、今後も新たな製品を開発していくと意気込む姜氏。開発と量産には、京都の製造業エコシステムの活用が欠かせない。決して順調とは言えないスタートだったが、ハードウェアスタートアップとして世界中に自社製品を届けながら、新たな一手を次々と打ち続けている。
コンテンツの配信と並行して、法人向けモデルや次期モデルの開発も進めている。2018年には有機ELメーカーのJOLEDと共同開発モデルを発表するなど、大手企業からも注目される存在となった。勤めていた大手企業を辞めて、スタートアップに転身した姜氏は環境を変えることに迷いは無かったという。
「当時勤めていた任天堂には無いジャンルのものを開発しようと思ったので、会社を辞めて起業するのがベストだと思っていました。今になって振り返ると、量産でのトラブルや資金面でも苦しい時期はあったけど、やらないという選択肢を選ぶほうのリスクが高い時代になっていると思います」
2019年4月には新たなモデルを発表するなど加速しつづけるアトモフ。スマートウィンドウは私たちの暮らしのスタンダードになるのか、今後も注目し続けていきたい。