IoTで世界のネコを救いたい!
ハードウェア×ネコ愛のスタートアップ、ハチたま・ネコトイレ「トレッタ」の戦略
2018年、ユニークなIoT機器として話題となったネコトイレ「トレッタ」。2019年2月、満を持してリリースされ、ネコ愛好家の間で話題を呼んでいる。「ねこ」をキーワードにIoTを駆使したハードウェアスタートアップとしての明確な戦略がそこにある。スピードを最優先としながらも「ねこファースト」に徹した事業展開を紹介する。 (撮影:加藤甫)
世界初のユニークなネコトイレ
ペットフード協会の2018年全国犬猫飼育実態調査によると日本全国のネコの飼育頭数は964万9000頭と1000万頭に迫る勢いだ。国民の10人に1人が猫を飼おうかという時代、「ネコノミクス」といわれるほどその経済的効果は大きい。一方でペットとしてのネコの特性はあまり知られておらず、一般のイメージとはギャップもある。
「当社も2年前『ITとペット』という枠組みで事業を始めたのですが、いろいろと試行錯誤するうちに飼いネコに泌尿器疾患が多いという事実に行き着きました。そこで『ネコの健康を見守るトイレ』というコンセプトが生まれたのです」とCMO(最高マーケティング責任者)の松原あゆみ氏は語る。
飼いネコのルーツは砂漠で生きるリビアヤマネコ。水分が極端に少ない環境で育つ。そのため、排せつを極力抑え、体内でぎりぎりまで水分を使う尿が濃くなりやすい体質なのだ。これが泌尿器疾患を招きやすい一因でもある。
ネコの健康を可視化
実際に「トレッタ」を見せてもらった。商品構成としては、センサープレートの上に、ネコのシステムトイレが載っている格好だ。センサープレートから伸びたコードの先にLEDライト付きのカメラが付いており、システムトイレの正面にセッティングできる。
「ネコがトイレに入るとカメラが作動し、排せつが終わってトイレを出るまでの一連の動作を記録します。同時にセンサープレートで体重を測定します。データはタスクとして残り、専用アプリで外出先から見られる仕組みです。何時ころトイレに行ったか、1日何回トイレに入ったか、1回のトイレ滞在時間はどれくらいか、そのときの体重は、といった一連のデータが見られます。また、日、週、月、年の単位でグラフにして推移を見ることもできます。ネコの健康状態が可視化できれば、体調変化にいち早く気づき、動物病院に適切なタイミングで連れて行くことができます」
松原氏は言う。
おしっこの回数や体重といったデータがなぜ重要なのか。ピンとこないかもしれない。
通常、膀胱炎や尿道炎にかかったネコは、1回の排せつ量が減るので頻繁にトイレに行く。症状が進むと痛みでトイレ以外の場所で粗相するため、かえって回数が減る。放っておくと、尿路結石や腎臓病という重篤な症状を引き起こす。腎臓病になれば食欲が落ち、体重も減る。
おしっこの回数や体重推移といったデータは、ネコの健康を維持する極めて重要なデータなのだ。
ネコ飼いで猫の病気の経験がある人でも、今までは感覚的に捉えるしかなかったこれらのデータがIoTのテクノロジーで可視化される。ネコ飼いの人たちに待ち望まれた商品といえる。価格は2万4800円(税抜)となっている。
テクノロジーで問題解決
その昔のネコは家と外を自由に行き来し、人との結びつきも緩やかだった。今は外に出さず家の中で飼うのが一般的。それも2頭以上で飼うケースが増えている。仮に多頭飼いの飼い主が、排せつ物中の異常(血便や血尿)を見つけても、どの猫のものか判断がつかない。首輪にビーコンの発信機を仕込むという手も考えられる。ネコごとに信号を変えれば、個体識別は可能だ。しかし首輪を嫌がる猫も少なくない。「ねこの嫌がることはやらない」。「ねこ優先主義」はトレッタの開発指針でもある。問題はテクノロジーで解決した。
「撮った画像を使い、AIによる顔認証システムで個体を識別しています。精度を上げるために顔がしっかり映るよう、カメラの位置には配慮しました。開発中は今よりもう少し高い位置にあったのですが、ネコの特性に合わせて低くしました。彼らは、トイレに入るとき、砂の匂いを嗅ぐため頭を下げるのです」
IoTエンジニアの廣山篤志氏は、試作段階で猫の行動をつぶさに観察し、気が付いた。
「体重測定も大きな課題でした。動くものの重さを測るというのは簡単ではありません。ただ、データを取っているうちに、排せつ時には何秒か完全に停止する瞬間があることを発見して、そこに合わせて測定する方法を開発しました」
ネコの生理に根ざした工夫がここにもある。
「当初の予定では尿量も測るはずでした。しかしデリバリーを優先し、機能を限定した今の形をリリースしました。
現在も開発そのものは進んでいます。2019年の秋には新機能を追加した別バージョンをお届けしたいと思っています」
まだまだ進化するトレッタ。廣山氏はじめ、スタッフの開発意欲は旺盛だ。
量産は国内で
進化を促すチャレンジ精神は、量産システムにも表れている。金型代の安い中国生産に背を向け、あえて国内生産に挑んだ。
「量産に当たっては、国内外を問わず、30社以上から見積もりを取りました。もちろん中国はコスト面で魅力的でしたが、開発に伴う仕様変更に柔軟に対応できる、デリバリーが早い、といった要件を優先しました。大きな金型を作る技術があり、IoT機器にも挑戦したいという国内の会社と出会えたのもラッキーでした。『紹介の紹介の紹介』みたいな感じでしたが、諦めないでよかったと思います」
廣山氏は量産のための会社を見つけるまでの経緯を語ってくれた。何度も仕様変更すればコストに反映する。資金回収は容易ではないが、まずしっかりしたものを作り出す。確実性とリスクを最小限にという選択が国内生産だった。
松原氏は語る。
「最初の製品で結果を残さないと、この先のビジネスはありません。もちろんバランスはありますが、まずは投資という考え方に立ちました」
ハードウェアスタートアップとして段階が進めば誰もが通る道でもある。ものづくりに初期投資のリスクはつきものだが、ここを突破しないとビジネスは継続できない。
ITテクノロジーが鍵
トレッタは最初にリリースする主要商品ではあるが、ハチたまがめざすものは先にある。
「ネコフレンドリーな包括的なビジネスをめざしています。お客さんの意見を取り入れ、開発に生かすという意味で『ニャンバサダー』という制度を導入しました。いわばサポーターですが、みんなでネコの幸せな生活を考えていこうという姿勢です」
トイレのみならずネコ砂やペットシートの開発あるいはペット保険の会社や動物病院との連携なども進んでいる。いずれも顧客のニーズに基づくものだが、その精度をあげるシステムとしてはITテクノロジーが鍵になる。
「ネコの健康状態はもちろんですが、ネコ飼いの方々の個人の行動データなどがあるともっと違った視点での製品やサービスも作れるのではないかと思っています。個人情報の開示は一般的には難しいですが、『ネコのためなら』と教えてくれる人は少なくありません。どういうデータを、どう集めるか。大量のデータを蓄積し、AIで解析しながら、次のビジネスに結びつけるシステムの構築も製品開発と同じくらい重要だと思っています」
そう語る松原氏は「データサイエンティスト」の肩書きも持っている。このビジネスを成功させるキーマンの一人だろう。氏が語るシステムは、ハードウェアスタートアップの生命線ともいえる。
スピードと幸せ
ハチたまの事務所の所在地は藤沢市片瀬海岸。事務所の目の前には砂浜と湘南の海が広がる。室内では社員ネコの「うーちゃま」が歩き回り、天井からはネコ用の空中回廊がつり下がっている。壁にはネコの写真や絵画。外からから覗くと一見、おしゃれなネコカフェに思える。
「ときどき、本当に間違えて入ってくる人がいます」
笑いながら話す松原氏。
ネコフレンドリーな職場環境は、ゆっくり時間が流れそうだが、事実は異なる。ハードウェアスタートアップらしく、スピードが事業開始以来の社是となっている。
「CEOの堀からは『まずやってみる』『失敗してもOK。ただし準備は怠りなく』と常々言われています。チャレンジしないと開発もマーケティングも課題が見えてきません」
ハチたまは海外の組織や動物病院との連携も視野に入れたグローバルな展開にもすでに着手している。その証拠にインタビューのこの日、堀氏は米国出張中。率先垂範で動いている。
「幸せになりたければネコを飼うべき」というネコ飼いの人は多い。今後もこのマーケットはグローバルに広がっていくはずだ。ネコの健康をIoTで可視化するハチたまのサービスはどこまで進化するのか。挑戦は始まったばかりだ。