意識の高い話は不要——コワーキングスペース「技研ベース」に学ぶ、居心地のいい場所の作り方
「名刺交換の堅苦しさ、会場を汚せない、ビルの入退場が面倒、あまり騒げない、意識の高い話についていけない。そんな経験がありませんか」
技術系イベント後の懇親会やビジネス系の交流会に一度でも行った人なら、どれか一つは身に覚えがありそうな経験だろう。こんな呼びかけをして、クラウドファンディングで資金調達してオープンしたコワーキングスペースが東京・浅草橋にある「技研ベース」だ。
「つくる人たちの秘密基地」をコンセプトに、昼間はコワーキングスペース、水曜の夜は会員同士でお酒を飲みながら肩肘をはらずに話せるサロン、週末はイベント会場として場を提供している。
立ち上げたのは組み込み系技術者向けロボコンの運営やプログラミング教育関連の事業を経営するワタナベ技研の渡辺登(わたなべ のぼる)さん。週1回のサロンには大企業のエンジニアやスタートアップのメンバー、技術系メディアの編集者が集まるという。オーナーの渡辺さんに話を伺うと「意識を高くしない」と話す一方で、志すものは高い。(撮影:加藤甫)
技研ベースは2019年9月にオープン。イタリアンレストランだったテナントの改装には、渡辺さんの仲間やクラウドファンディングの支援者らが協力した。
「ものづくりが好きな人たちが集まるから内装工事もイベントのノリでやれるし、自宅に眠っている本や機材を寄贈してくれたりして、自分たちで場所を作っているという感覚をもって参加する人が多い」(渡辺さん)
渡辺さんが重視しているのは「気楽さ・気軽さ」。ビルの中ではなく通りに面した入り口なので、休日でも入りやすい。また、机や椅子に傷がついてもいいように、机や椅子はDIYで製作。何かあっても安価に替えられるようにした。メインで利用しているのは現役世代の大人が中心だが、子どもからシニアまで技術に興味のある人が集まり、交わる場にしたいと渡辺さんは抱負を語る。
「コワーキングスペースというと若い人たちが集まる場所というイメージがあるけれど、シニアが目を輝かせたり、休日には親子がプログラミングやものづくりを楽しんだりできる場所にもしたい」(渡辺さん)
エンジニアやデザイナー、技術好きが集まる場所でありながら、ビジネスライクな雰囲気とは距離を置く技研ベースは、どのような経緯で誕生したのだろうか。
渡辺さんは電機メーカー開発子会社で組み込み系開発者として、2000年代半ばまで通信システムの開発に従事していた。デスマーチを極めた携帯電話の開発現場には、スキルも経験もバラバラの人が現場に投入されていた。
「その中にはスキルが未熟なエンジニアもいて、計画的な技術トレーニングが必要だと感じたんです」
渡辺さんは技術者のスキル教育とキャリア形成に強い関心を抱き、NPO法人「組み込みソフトウェア管理者・技術者育成研究会(SESSAME)」に出入りするようになる。既存の教育プログラムの体系化などを担っていた渡辺さんの社外活動は、程なく経済産業省やIPA(情報処理推進機構)の担当者の目に留まる。2004年からIPAに研究員として出向することになり、組み込み系エンジニアのキャリア教育が本業になった。
マインドストームとの出会いと葛藤
その時にエンジニアのスキルトレーニングとしてロボコンを活用していた渡辺さんは、LEGOマインドストームと出会い、子ども向けのロボコンに大きな可能性とやりがいを感じるようになった。
「大人向けのロボコンは技術トレーニングも絡んでくるのでシビアな空気になりがちなのですが、小中高生や大学生向けのロボコンは終始ハッピーな雰囲気で、先生や親御さんにも感謝されるので、やる側にとってもお金に替えられない価値があると思いました」
同時期に渡辺さんはソフトウェア関連の大型展示会後に開かれる懇親会の幹事を引き受けるようになった。
「IPAでは年下のほうだったので、会場確保から出欠管理など進んでやりました。最初は10数人でしたけど、数回経って気がついたら200人近い宴会になっていました。懇親会にはソフトベンダーから自動車メーカー、ロボット業界の人が都市圏だけでなく地方からも集まります。そういう人たちに『仕切ってくれてありがとう』とお礼を言われるのが嬉しくて」
人から感謝されることが強いモチベーションになっていた渡辺さんだったが、リーマンショック後の早期希望退職募集を期に転職を決意。ロボコンでやりとりの多かったLEGOマインドストームの正規代理店、アフレルに移った。
大人向けの教育ツールでもあるLEGOマインドストームの教材販売やマーケティングに従事する傍ら、自身もマインドストームに代わるものを開発しようとしていた。
「マインドストームの完成度、製品としての魅力は本当に素晴らしかった。だからこそ、自分もマインドストームを超えるようなものを作ろうと企画や試作を重ねていたのですが、2年、3年とたつにつれ太刀打ちできないことに気付かされました」
自身での開発を断念したころに出会ったのが、「PETS」というロボットだった。PETSはセンサー好きの技術者らによるコミュニティ「TMCN」で知り合った仲間が考案した、未就学児向けのプログラミング学習ロボットだった。
その当時、試作品だったPETSに可能性を感じた渡辺さんは開発に合流すべく、アフレルを退職。PETSを開発・販売する会社for Our Kidsを仲間と起業した。PETSは、その後クラウドファンディングで支援を経て製品化。現在は教育機関を中心に販売している。
【PETS開発チーム「fOK」インタビュー】 ものづくりコミュニティから生まれたパソコンを使わないプログラミング教材“PETS”が歩んできたステップ|fabcross |
週1の飲み会がきっかけになり、技研ベースへ
for Our Kidsの起業と同時期に、渡辺さんは自身の会社としてワタナベ技研を立ち上げ、秋葉原に小さな事務所を構えた。その事務所では、for Our Kidsの定例会議が毎週水曜日に開かれていた。
「会議が終わると事務所で缶ビールを一本飲んでから、メンバーと居酒屋に行ってました。ある時に事務所で飲んでいる様子を誰かがFacebookに投稿したら、それを見た人が事務所に遊びに来るようになっちゃったんですね(笑)。それなら毎週水曜の夜は事務所を開放しようということで、仲間うちで始めたのが最初」(渡辺さん)
for Our Kidsの周りには新しい技術やガジェット好きな大人がたくさんいたこともあり、水曜の夜になると、さまざまな人が渡辺さんの事務所を訪れるようになった。
「3人のときがあれば20人も来たときもあって、8畳程度のオフィススペースと6畳の倉庫に人が入り切らないこともありました。堅苦しいのが嫌だったので、名刺交換は禁止、無理に話に加わらず、黙って飲んでいてもいい雰囲気づくりを心がけていました。誰かがスタートアップとしての野望や『SDGsの時代に〜』みたいな、意識の高いことを言い出すと『そういう話はサイゼリヤでやってくれ』とイエローカードで警告したり(笑)」
話題の中心は最近買ったガジェットやデバイスの話から、好きなYouTube動画など技術とは関係ない話まで尽きることはなかった。IPA時代の宴会部長やワークショップの講師として培ったファシリテーション能力は、小さな事務所の飲み会でも生きた。ネットワーキングの場でありながら、気軽に遊びに行ける雰囲気に毎週さまざまなバックグラウンドの人たちが集い、仕事につながる出会いもいくつか生まれた。
「水曜日の飲み会が定着してくると、遊びにきた同士で技術ネタで盛り上がって仕事に繋がったり、お互いが主催するイベントに誘ったりということでお礼を言われることが増えたんです」
飲み会その場限りのつながりではなく、仕事につながる出会いが生まれている。単純な飲み会の幹事ではなく、有機的なつながりを促せるような形にすべきではないかと渡辺さんは考えた。しかし、持続可能性を担保するのであれば「仕事のついで」ではなく、サービスとして継続できる形を維持したい——そう考えた渡辺さんは、より広い場所を借りて、コワーキングスペースとして再出発することを決めた。
誰もが感謝され、必要とされる場所にしたい
誕生して間もない技研ベースだが、今後のビジョンは交流会やコワーキングスペースには留まらない。
「50歳以上の技術者を対象にスキルアップと働く場を提供したいと考えています。定年になって、いきなりフリーになるのではなく、少し前から準備できるような場所を用意したい」
シニアのエンジニアに技研ベースを利用してもらうことで、子ども向けプログラミング教育NPO団体のイベントやワークショップにボランティアとして派遣するほか、本人の得意分野に応じた講師活動の支援や開発受託業務や技術者派遣サービスを斡旋する。職場で兼業が禁じられている場合には、技研ベースの有料サービスを利用できるポイントなどで還元することを考えている。
渡辺さん自身、人に感謝され、求められることが強いモチベーションにつながっていることがアイデアの根幹にあるが、父親の生き方が強い動機になっているという。
「父は機械式計算機の技術者として働き、定年になってからも自分の会社を経営する傍ら、NPO法人を発足させ、白血病で亡くなる1年半前まで現役で生き生きと働いていました。それは誰かと話せる場所があって、社会に必要とされてきたからだと思うんです」
父のように生涯を通じて、エンジニアが社会に求められる場所を作りたい。技研ベースにかける渡辺さんの志は高い。