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ICOMA 生駒崇光インタビュー

おもちゃ開発からスタートアップを経て、箱型変形バイクを開発——ロボットを描きたいと夢見た少年が理想のバイクを「再発明」するまで

生駒崇光(いこまたかみつ)さんは、持ち運びと変形可能な小型電動バイク「ハコベル」(HAKOBELL)を開発するMakerだ。タカラトミーでおもちゃ開発に従事した後、Cerevo、GROOVE Xとスタートアップ2社でプロダクトデザイナーとして活躍する。
「ハコベル」は個人のプロジェクトとして開発。机の下に収まるサイズから変形する電動原付バイクは、実用性よりも趣向性に傾きつつあるバイクを再発明するというコンセプトだ。

展示イベントやSNS上でも話題となり、製品化を期待する声が多かったことから、個人の作品ではなく公道で走行可能なバイクを目指し独立。ハコベルを開発する会社「ICOMA」を2021年3月に設立した。

試作中のハコベルが変形する様子はTwitterでも大きな反響に。

工具や機材で埋め尽くされた自室で理想のバイクを作る生駒さんは、ハコベルを「誰でも乗りたくなるバイク」にしたいと目を輝かせる。その背景には夢を形にするデザイナーやエンジニア、起業家たちの側で研鑽を続けた日々があった。

箱型のボディから後輪部分がせり出す様子。多くのパーツは民生品を流用したり、アルミフレームを多用したMakerならではの試作品だが、シンプルな機構は生駒さんのノウハウが詰め込まれている。 箱型のボディから後輪部分がせり出す様子。多くのパーツは民生品を流用したり、アルミフレームを多用したMakerならではの試作品だが、シンプルな機構は生駒さんのノウハウが詰め込まれている。

ロボットやSFに憧れ、「ロボットを描きたい」と夢見た少年期から、トランスフォーマーのデザインを経て、生駒さんいわく「真逆の思想」だったスタートアップ2社でキャリアを積み、現在に至るまで、その半生を伺った。(撮影:加藤甫)

「ロボットが描きたい」と思った少年時代

生まれは1989年で、高校までは長野県安曇野市にいました。
母子家庭で育ったのですが、舞踏家だった母がプロ仕様の撮影機材を持っていたのに機械音痴だったんですね(笑)。それで小学生の頃から母専属のカメラマンとして仕事を手伝っていました。そのうち、パソコンで動画や映像編集するように言われて、小学生でPhotoshopも触ったりして、今思えばそれが何かを作る原点だったかもしれません。

一時期、電気もインターネットも通じない田舎の古民家に住むことになって、その時は本当に嫌で(笑)。母はどちらかといえば自然派志向でしたが、僕はその反動でテクノロジーが大好き。引っ越して半年後に電気とインターネットがつながると、ずーっと「SimCity」や「Age of Empires」(※いずれもPCゲームの人気作品)ばかりやっていました。

ハコベル開発者の生駒崇光さん。インタビューは自宅兼工房で行われた。 ハコベル開発者の生駒崇光さん。インタビューは自宅兼工房で行われた。

ものづくりに本格的に興味を持ったのは、小学生の時に北九州のスペースワールド(現在は閉園)で、スペースシャトルの実物大モデルを見て衝撃を受けたのがきっかけです。そこからSFやロボットに興味を持つようになり、中学生の頃には明確に「ガンダムみたいなロボットを作る仕事がしたい」って思っていました。

高校では建築科に進みましたが、学校から要らなくなったドラフターを借りて家でひらすらガンダムや、ロボットの同人誌を描いてました。そこから1年のブランクを経て、桑沢デザイン研究所に進学しました。経済面で母には迷惑をかけられなかったので、大学は諦めていたんですけど、学費が美大より安くて、有名な美大と肩を並べて優秀なデザイナーを輩出している桑沢の存在を知って、夜間部なら働きながら通えると思って受験しました。

学生時代の同人誌。この数年後にタカラトミーに入社し、開発マンとしてのキャリアをスタートさせる。 学生時代の同人誌。この数年後にタカラトミーに入社し、開発マンとしてのキャリアをスタートさせる。

実は高校を卒業してから、桑沢に入るまでの間にVAIOの安曇野工場で3ヶ月ぐらいノートパソコンの組立のアルバイトをしていたことがあって、当時の最高級機を1日300台組むラインにいました。今思い出しても、VAIOの工場はあらゆる面で考え抜かれていて、日本でトップクラスの製造ラインだったと思います。スタートアップで働き、製造ラインに行くようになってからも、あの当時の製造ラインの素晴らしさを思い出します。

桑沢ではロボットのデザイナーを目指すべく工業デザインを2年間学びました。桑沢でやることってMakerそのもので、自分で考えたものをデザインから試作までを全て一人でやるので、Makerとしての基礎になる経験が身につきました。僕はとにかく動くものを作りたかったので、既製品を分解して部品取りしたりして作ってました。

就活は苦労しましたね。ロボットのデザインがやりたくて、桑沢では工業デザインを選びましたが、アニメやゲームに登場するロボットデザインにも範囲を広げて、いろんな会社を受けましたが、非常に狭き門で全く受からなかったんです。

就活を諦めかけていた時に、桑沢のOBでタカラトミーの子会社にいる方がトランスフォーマーに関するアルバイトの求人を担任に持ってきてくれたんです。要件を見ると「機構が得意でロボットが描ける人」ってあったので、これはチャンスかもしれないと思い、今まで描いたロボットのスケッチや試作品を抱えて面接に行ったら採用されました。それが2010年の春。一ヶ月後には徹夜は日常茶飯事の生活が始まりました(笑)

子供の頃に遊んだおもちゃを作った本人からダメ出し

生駒さんの自宅にある工房。 生駒さんの自宅にある工房。

タカラトミーにはバイトから社員になるまで足掛け約5年間いて、ずっとトランスフォーマーに携わりました。デザイン画は全て手描きで、10数回リテイク(やり直し)になり、2週間同じロボットのデザイン画を描き続けたこともありました。提出したデザイン画を見るのは、子供の頃に自分が見ていた「勇者シリーズ」(90年代にTVアニメとして制作・放送された作品群)を手掛けたような大先輩。僕が子供の頃に遊んでいたおもちゃを作った人から内線電話でダメ出しされるので、ある意味すごい経験だったと思います。

当時はロボットの資料も読みあさって、仕事もロボット漬けでしたね。最初はアルバイト採用だったけど、契約社員に切り替わって、最終的には本社に出向してトランスフォーマーの事業開発まで経験できました。

3Dプリンターを初めて使ったのもタカラトミー時代でした。デザイナーだけど構造や設計がわかるということで、当時誰も使いこなせていなかった光造形3Dプリンターを自由に使わせてもらえました。この経験がMakerとしてのスキルアップにも大きく貢献しましたね。

3Dプリンターブームで安い3Dプリンターがもてはやされましたが、プリンター自体がホビーみたいな感じだったので、当時は懐疑的でしたね。今はFFF方式(熱溶解積層方式)の3Dプリンターでも、きれいに造形できるプリンターがあるので、自宅でも使っています。

3D-CADの勉強として設計し、社内の光造形3Dプリンターで造形したオリジナルのフクロウ型ロボット。ボディを回転させるとハニカム状の穴から内側の模様が変わったり、変形する足などギミックが盛りだくさん。(写真提供:生駒崇光さん) 3D-CADの勉強として設計し、社内の光造形3Dプリンターで造形したオリジナルのフクロウ型ロボット。ボディを回転させるとハニカム状の穴から内側の模様が変わったり、変形する足などギミックが盛りだくさん。(写真提供:生駒崇光さん)

玩具での樹脂成形以外のものづくりに興味が出てきたのが、転職を考え始めるきっかけでした。おもちゃでは使えないハイテクな電気部品などを使ったプロダクトに興味を感じ始めましたんですね。

その頃、ソフトバンクが発表したPepperがターニングポイントでした。製品発表会にも行き、遠い存在だと思っていたロボットを見て、「リアルなロボットが作れるんだ」っていうことに衝撃を受けたんです。

真逆の思考だった二人の起業家との出会い

タカラトミーの社員時代に明和電機が主催していたワークショップで、いろんな知り合いができました。その中にいたパナソニック出身の人が仲間同士で起業して事務所で、身内だけでお披露目のパーティーをやるから来ないかって誘われました。その中に同じパナソニック出身で、当時Cerevoを創業したばかりの岩佐琢磨さんがいたんです。

自分がやっていることを話したら、関心をもってもらえて、後日オフィスに遊びにいったときに「社員にならないか」と誘われました。Cerevoは当時LiveShellという配信機器がヒットした頃で、スタートアップとして急成長するタイミングでしたが、当時の自分はまだ半人前だと思っていたので、一度はお断りしたんです。

それから3年ぐらい経ったあと、DMM.make AKIBA(以下、AKIBA)がスタートする直前(2014年)にもう一度誘われて。ちょうど、現職での限界も感じていた時期と重なっていたので入社を決めました。

生駒さんは本業の傍ら週刊モーニング(講談社)で連載されていたリアル・ロボット・エンジニアリング漫画「アイアンバディ」のロボットデザインや技術監修にも携わる。当時話題になっていたボストンダイナミクスの二足歩行技術やLiDARによる自律走行など、実際のロボット開発の現場で採用されていた技術やトレンドを盛り込んだ。写真はアイアンバディのメイキングエピソードをまとめた原作者公認の同人誌。 生駒さんは本業の傍ら週刊モーニング(講談社)で連載されていたリアル・ロボット・エンジニアリング漫画「アイアンバディ」のロボットデザインや技術監修にも携わる。当時話題になっていたボストンダイナミクスの二足歩行技術やLiDARによる自律走行など、実際のロボット開発の現場で採用されていた技術やトレンドを盛り込んだ。写真はアイアンバディのメイキングエピソードをまとめた原作者公認の同人誌。

その当時のCerevoは社員数も20人弱ぐらい。大企業からスタートアップへの転職でしたが、スピード感にギャップはありませんでした。というのも玩具業界は、企画から試作、量産までを猛スピードでやり切って、トレンドが来ている間に売るという文化なので、アイデアから実行までのスプリントはとても早いんです。

内部の設計や仕様もなるべくシンプルに考えて、とにかく試作してみるという文化なので、スタートアップを目指す人にはオススメの業界です。

玩具業界は1ヶ月に1製品出すというのが当たり前の世界ですから、大手の家電メーカーが製品開発に1年もかける意味が全くわからなかったんですが、Cerevoに入ってみて、その理由がわかりました。特に金属や動力を使ったことがなかったので、当時はとても苦労しました。動かしたときのガタツキやトルク、配線の回し方や基板に至るまで考えるべきことが膨大にある。電気や機械、材料にソフトウェアまでトータルで考えるハードウェア開発の奥深さを学びました。

けれども、当時のCerevoは腕に覚えがある技術者の集団で、電子基板は全て一人でやっちゃう人とか、すごいエンジニアばかり集まっていました。自分も若かったし経験が浅かったので、電気関係や組み込みも含めて、知らないことは周りに聞いて吸収しました。その後、Cerevoはピーク時には100人ぐらいまで増えて、AKIBAから引っ越し、僕も一つのプロダクトの企画立案からデザイン、メカ設計の一部に至るまで担当する経験ができました。

生駒さんがCerevo時代に手掛けた「Tipron」開発中の様子。プロジェクターを搭載した可変型ロボットというコンセプトは生駒さんならではの発想。(写真提供:生駒崇光さん) 生駒さんがCerevo時代に手掛けた「Tipron」開発中の様子。プロジェクターを搭載した可変型ロボットというコンセプトは生駒さんならではの発想。(写真提供:生駒崇光さん)

その次の職場になるGROOVE Xとの出会いはAKIBAでした。GROOVE Xも初期はAKIBAがオフィスで、Pepperの発表会でソフトバンクのプロジェクトリーダーとしてステージに立っていた林要さん(GROOVE X代表取締役社長)が目の前にいるのを見て、「あのときのPepperの人がいる!」って興奮しました(笑)。

当時、Cerevoのプロジェクトで、製造を海外の大手EMSに委託する話があって、Pepperも同じEMSを使っていたと知って、林さんにアドバイスを貰いたかったんです。それで、ある日AKIBAで林さんに声をかけ、自己紹介してから相談したら「そんなことより、うちに来ない?」って誘われて(笑)。

LOVOTのアイデアや開発中のものも見せていただいて心が動きましたが、関わっていたプロジェクトが佳境だったので、一度はお断りしました。でも、その後も半年ぐらい「来ないか?」って誘っていただいて。Cerevoで携わっていたプロジェクトが終わって、プロダクトデザイナーとしても一区切りが着いたタイミングになった頃、GROOVE Xに移ることにしたんです。

転職した理由は岩佐さんと林さんが対極の発想を持ち主だったからです。Cerevoは凄腕エンジニア集団で、安く早く作って、グローバルニッチを狙うという戦略。一方でGROOVE Xは林さんがトヨタ自動車からソフトバンクというキャリアを積んだこともあって、時間とお金をかけてLOVOTを開発し、ペット業界すら飲み込んで大きな存在になろうという戦略でした。

それは開発の現場にも表れていて、人が使うときの安全性への配慮はもちろんのこと、質感や触り心地など、自動車メーカーならではのUX(ユーザーエクスペリエンス)に対するこだわりが非常に強い。一方でCerevoは動くものをいかに早く作るかという発想です。岩佐さんから学んだこともたくさんありましたが、その真逆にいる林さんからも学びたいと思ったんです。

あと、プロダクトデザイナーとして外部から参加していた根津孝太さんの存在も大きかったですね。根津さんは林さんと同じトヨタ自動車出身の方で、プロダクトデザイナーとして電動バイクから水筒に至るまで、幅広く実績のある方でした。僕にとっては憧れの存在で、根津さんの元で勉強できる機会は滅多に無いと思ったんです。

入社した2016年当時のGroove Xは、僕がCerevoに入った頃と同じ20人弱の組織。入社当初は根津さんのアシスタントデザイナーとして要件を取りまとめたり、デザインの実作業を手伝っていました。最終的には一部の機構や充電器などのデザインを任せていただき、プロダクトデザイナーとしての仕事も経験できました。

米テキサス州で毎年開催される大型テック系イベント「SXSW」(サウス・バイ・サウスウエスト)にGROOVE Xの社員として参加した時の様子。(写真提供:生駒崇光さん) 米テキサス州で毎年開催される大型テック系イベント「SXSW」(サウス・バイ・サウスウエスト)にGROOVE Xの社員として参加した時の様子。(写真提供:生駒崇光さん)

LOVOTが通常の製品開発と異なるのは、「役にたたない、でも愛着がある」のコンセプトの通り、実用性から入らなかったことです。

パソコンもカメラも実用的な機能を売りにしますよね。でもLOVOTは全く新しい製品なので、買う側もスペックで考えないし、作る側もどのように売れるのか未知数の部分があったロボットでした。僕は最初見た時に「新種の動物を発見されて、それがペットになった」と思いました。人の人生に大きな影響を与えるペットであり、世の中にないコンセプトを持ったロボットの開発に携われたのは貴重な経験だったと思います。

Cerevoで学んだ動くものにするためにはどうしたらいいかというスピード感と知見や、GROOVE Xで学んだUXは、ハコベルの開発にも生かされています。

本当に作りたかったものがハコベルだった

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ハコベルの構想はCerevo時代からありました。UPQ※が折りたたみできる電動バイクを扱っていたのを横で見ていたんですが、折りたたむと自立しないし、そんなに小さくならなくて、変形の仕組が僕の美学に反するものだったんです(笑)

夜中にAKIBAで仲間と雑談しながら「自分ならこんな感じのバイクにするな」って、ホワイトボードで描いたのがハコベルの原形となったコンセプトです。箱型になって、椅子と机があるというコンセプトで、そこでノマドライフができるという構想でした。当時からアリババでパーツを見繕っては、なんとなく作れるんじゃないかなとは思っていたんですけど、実際に手を動かして作るまでには至っていませんでした。

これがホワイトボードに描いたハコベルのコンセプト図(写真提供:生駒崇光さん) これがホワイトボードに描いたハコベルのコンセプト図(写真提供:生駒崇光さん)

GROOVE Xに移ってからは自動車業界出身の方がたくさんいたので、バイク開発について相談していました。根津さんにも構想を話してアドバイスをもらったりもしていました。根津さんは「zecOO」という電動バイクを町工場と作った経験があったので、自分も原付ぐらいのバイクなら作れるんじゃないかと思ってましたね(笑)。

UPQ…2015年設立のスタートアップ。同社の設計や品質・生産管理をCerevoが担っていた。2021年にCerevoに吸収合併。

そうこうしているうちに、長男が生まれるタイミングで育休を取得できたので、その期間中にちゃんと3D-CADを覚えようと思ってFusion 360を勉強して、変形するバイクの設計をし始めました。

構想から3年かけて変形部分の機構データがある日の明け方に完成して、Fusion 360上で動くデータを妻に見せながら、「こんなのできたんだけど、なんのためにやってるんだろうなぁ」ってボヤいていたら、「いいからTwitterにアップして反応見てみたら?」ってアドバイスしてくれて。実際に動く様子をgif画像にしてTweetしたら1万以上のいいねが集まって、それがすごく自信につながりました。それまでは作りたい思いはあっても、それが受け入れられるかは懐疑的でした。

ちょうど新型コロナで家にいる時間も増えたことに加え、LOVOTが発売されてプロダクトデザイナーとしての仕事も落ち着いたので、今後の自分についてじっくり考えるようになりました。考えていたことが受け入れられるかもしれないという実感も得られるようになり、ずっと考えていたバイクを作るなら、今なんじゃないかと。それでフリーのプロダクトデザイナーとして独立して仕事を受託しながら、自宅で開発しようと思い、GROOVE Xを離れて独立する道を選びました。

法人化したのは事業開発やベンチャーの立ち上げをやっていたタカラトミー時代の同僚が一緒にやろうと言ってくれたり、関心を持ってくれる投資家から声がかかるようになったのもありますが、一般の人が乗れるよう責任を持って最後まで作りきりたいという気持ちからでした。

個人のものづくりなら「できちゃいました、でも不具合はちょこちょこあります」みたいな感じでも許される部分があります。実際、ハコベルも最初に展示した際は、変形する機構のみで運転できなかったり、サスペンションがしっかりしていなかったりして、電動バイクとしては未完成でした。新しいモノ好きなアーリーアダプターは「いいね!」って言ってくれるかもしれないけど、どうせ作るなら普通の人が欲しくなるものにしたい。それには「作ってみた」じゃなくて「ちゃんと、作ってます」って言えるものにする責任を負わないといけないと思ったんです。

ハコベルは電動バイクでガスが排出されないことに加え、コンパクトなので室内の工房での試作開発もしやすいという。「もう少し開発が進んだら、広いスペースが必要になるかもしれなくて、近所で空いてるガレージを何人かでシェアできたらいいなって思いますね」(生駒さん) ハコベルは電動バイクでガスが排出されないことに加え、コンパクトなので室内の工房での試作開発もしやすいという。「もう少し開発が進んだら、広いスペースが必要になるかもしれなくて、近所で空いてるガレージを何人かでシェアできたらいいなって思いますね」(生駒さん)

特にバイクは最近、大型化/ハイスペック化していって嗜好性が高い傾向に移りつつあって、便利さや手軽さが失われつつある一方で、スーパーカブのような昔からある小型バイクがリバイバルヒットしている。であればハコベルが受け入れられる余地もあるんじゃないかと思ったんです。

ハコベルは大容量のバッテリーを搭載して、持ち運びや収納がしやすい形状なので、非常時には大容量バッテリーとして使用したり、非常時の移動手段としても活用できます。世界中で大企業からスタートアップまでMaaS(Mobility as a Service:移動手段をサービスとして提供すること)に取り組んでいますが、ハコベルもMaaSのプレーヤーになれる可能性があります。たとえば、日本国内であれば3000円程度で配送会社に依頼して出張先にハコベルを送ってもらい、翌日現地で受け取って移動するといったこともできます。

そういう意味では10年、20年先を見据えてハコベルの開発だけでなく、ハコベルを使ったサービス作りも構想しているので、やり甲斐のあるプロジェクトだと思います。
新しいものに機能を盛り込むと量産する難易度が上がって、結果的に高額になってしまうので、機能面は慎重に考えています。できることが未来志向すぎると、誰もついてこれなくなるので、手頃な値段で簡単に動くという側面も大事にしたいと思います。

SNSでペルソナを作る

今後の計画ですが、最初から大掛かりに仕掛けるのではなく、まずは小ロットで製造して、ユーザーとメーカーの距離が近い関係で改善していきたいと思います。ステルスで活動しているわけではなく、ネット上である程度情報もオープンにしているので、類似品が出る可能性もあるし、ちゃんと売れるものを早く届けたいという気持ちはあります。

けれども、最初の段階からライトなユーザーに届いても満足してもらえない可能性があるし、新しい概念だからこそ社会実装は段階を踏んでいくべきかなと思います。まずはユーザーコミュニティの中で育てていきたいですね。

製品開発の現場では、仮想のユーザーを設定する「ペルソナ」作りをするのが一般的ですが、新しいコンセプトの商品は市場がないので、ユーザー像が抽象的であったり、理想を追い求めすぎて、「港区在住・年収1000万円超」みたいな、「それって、日本にどれだけいるの?」と言いたくなるようなペルソナが生まれがちです。

ハコベルはTwitterで火が着いたのもあって、SNSからリプライしてくれたり、いいねをくれる人たちのプロフィールや他の投稿もチェックして、ユーザーのペルソナ作りをしています。だから、否定的な内容のリプライでも返信しているし、そのコミュニケーションの中から、現実的なペルソナを作ることもできる時代なんじゃないかなと思います。ステルスにしないでオープンにして、フィードバックはSNSで全て受け止めながら、現実的なペルソナを作って、製品やビジネスモデルに反映するというのが、僕なりのプロダクト開発です。

工業デザイナーもMakeしてほしい

「最終的に目指しているのは、ものづくりのコンテンツ化。作っているプロセスやできたものを見ることにも楽しさを感じてもらいたい。秋にはハコベルに乗ってキャンプを企画したい」(生駒さん) 「最終的に目指しているのは、ものづくりのコンテンツ化。作っているプロセスやできたものを見ることにも楽しさを感じてもらいたい。秋にはハコベルに乗ってキャンプを企画したい」(生駒さん)

CerevoとGROOVE Xを通じてAKIBAに出入りしたことで、日本のスタートアップ・エコシステムから学んだこともたくさんありました。

AKIBAは電子工作系の人が多くて、工業デザイナー系の人が少なかった印象があります。それは電子工作系の人たちは自分たちで作れる環境にしっかりアンテナを張っている一方で、工業デザイナー系の人はそこまで感度が高くなかったり、自分はデザインまでで手を動かすのは違う人の役割だと思っている節があるんじゃないかと思います。

ものを作る上で基板やプログラムですごいことができるのも重要ですが、それを包み込むデザインがしっかりしていないと、外に波及する力が弱くなる−−。それが解決されれば、売れるプロダクトも増えていくのではないかと思うので、工業デザイナーもスタートアップやメイカーズムーブメントに、もっと関わっていくといいなと思いますね。

プロダクトデザイナーとして僕が玩具業界で学んだのはちょっとした仕掛けや工夫を凝らすこと、そこにCerevoで学んだスピード感と形にする基礎、そしてGROOVE Xで培ったUXを重視する姿勢が加わって今に至ります。ハコベルに協力してくれる人たちも、これまでの仕事で知り合った人もいれば、こちらから声をかけてお願いした人もいて、スキルやバックグラウンドも異なります。そういう人たちとともに、自ら手を動かして新しいものが作れることに喜びを感じています。

取材した日の翌週にはナンバープレートを申請して公道を走れるようにしたいと話していた生駒さん。fabcrossでは引き続きハコベルの開発を取材予定です。 取材した日の翌週にはナンバープレートを申請して公道を走れるようにしたいと話していた生駒さん。fabcrossでは引き続きハコベルの開発を取材予定です。

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