3DCGは彫刻の素材たり得るか——彫刻家・萩原亮が描く新たな「複製」のプロセスとかたち
芸術作品を見たことがある、とはどういうことだろう。「モナ・リザ」の表情は誰もが思い浮かべられるが、油彩で描かれた実物を見たことがあるとは限らない。画家本人が描いたものと複製されたもの、写真に撮られてデータとなったもの——それらが全く違うと言い切れる根拠は、果たしてどこにあるのだろう。
3DCGや3Dプリンターを駆使する彫刻家、萩原亮(はぎわら りょう)の作品は、純粋な形や素材の表情と共に、現代における複製技術の在り方も描き出す。最小限の線で表現された動物たちの生命感あふれる姿は、萩原の手によって仕上げられた実物を直接見るのみならず、鑑賞者が3Dプリンターを用いて複製し、レプリカや二次創作として手元で楽しむ選択肢も開かれている。
コロナ禍における制約から3Dプリンターを使い始めた萩原。その時期が去ってなお、造形手段として、さらに作品を世に広め思考を続けるメディアとして3Dプリンターを活用し続けている。粘土や石に続く彫刻の「素材」として3DCGを捉える萩原は、デジタルデータで立体の複製が容易になった現代における彫刻の在り方を問いかける。相模湖を近くに臨むアトリエで、その思考と実践を掘り下げた。
(クレジットのない写真の撮影:宮本 七生)
コロナ禍で取り入れた3Dプリンター
萩原が3Dプリンターを使い始めたのは、2020年4月の緊急事態宣言発出中のこと。外出自粛が求められる中で、新たな作品制作の手段として3Dプリンターを自宅に導入した。初めて触れる機械だったが、過去に培った3DCGの経験と仕上げのスキルを活用しながら制作を続けていく。1週間に一つの作品を完成させる「#WeeklySculpture」と題してSNSで発表を続け、2021年6月には個展「WEEKLY SCULPTURE」も開催した。
自分で3Dプリントしたものを手作業で仕上げたり、国内外の3Dプリントサービスを用いて異なる素材で出力したり。3Dプリントしたものを型として、ブロンズでの鋳造も行った。3Dプリントならではの特性を生かした、多様なマテリアルによる表現は、かたちの美しさ、そして萩原が立体を捉える視点も際立たせている。最低限の稜線(りょうせん)で構成された動物の美しい造形や躍動感は、3DCGの無機質なイメージとはむしろ対極にあるともいえるだろう。
さらに萩原は、3Dプリンターを単なる製造の手段だけでは終わらせなかった。一部の作品は、DMM.makeのクリエイターズマーケットなどで公開され、希望者はミニチュアを手に入れることができる。数万円から購入できる小型の作品群は、萩原自らが仕上げた大型の「オリジナル」に対して、手に入れやすい「レプリカ」のような位置づけとして、多くの人の手に届いていった。高価な一点ものだけが存在する彫刻作品との、新たな付き合い方が生まれ始めた。
手作業の跡が宿る本物と、改変可能な3Dデータ
周囲の反応や個展で手応えを感じた萩原だが、自身が生み出した作品の価値は、まだ測りかねていたという。
「実は2021年の個展では、作品に値段をつけていませんでした。同じものが何度も作れてしまうという事実を前に、自分としてはまだ、価値を決めかねていたのです」(萩原氏)
その感覚と向き合うためも、個人でアトリエを構えて制作活動に取り組んでいく。コロナ禍が明け、3Dプリンターを用いずとも制作できる環境になってもなお、創作の道具として利用を続けている。
上の写真は、2023年10月20日からの個展「プロセスとかたち」で公開される新作「Retopology:Cat01」だ。その制作プロセスは、まずは粘土で作った形状を3Dスキャンし、そのデータを元に3DCGを再構築(リトポロジー)したのち、拡大して3Dプリント。樹脂で出力したものの表面に鉄線をはわせて溶接したものをフレームとして切り離し、その間を埋めるように鉄線で面を構築していくという、デジタルとアナログを行き来するものだ。
表面が滑らかな過去の作品と異なり、幾多の線が溶接された手作業の痕跡がわかる仕上がりになっている。萩原の面の捉え方や作業プロセスが伝わる姿にしているのは、彫刻における本物とコピーの価値をより対照的に浮かび上がらせるための仕掛けでもある。
また、「Retopology:Cat01」の元となった3Dデータは「Template:Cat01」として、萩原個人が販売している。これまで販売していた複製はあくまで3Dプリントされた「実物」だったが、今回は「3Dデータ」自体が対象となり、その活用方法は購入した人次第。改変可能な3Dデータとして公開しているため、造形するサイズや素材、利用する機材やサービスさえも鑑賞者に委ねられたのだ。
データの公開直後から多くの購入者が現れ、SNSでは3Dプリントによる造形や仕上げにとどまらず、立体形状に合わせてカットした段ボールを重ね、石膏粘土で包むなど多様な事例が投稿されている。萩原自身が制作した「Retopology:Cat01」が直接人の目に触れるよりも前に、その二次創作が生み出されているという、本物とリミックスが倒錯したような状況は特筆に値するだろう。
「ミュージシャンで例えるなら、新曲の発表と同時に楽譜が公開され、多くの『歌ってみた』や『弾いてみた』が生まれているような状況。データを購入して3Dプリントした人たちの全員が、まだ実物を見たことがないという状況に面白さを感じます」(萩原氏)
3Dモデリングと金属素材に見つけた活路
3Dデータと金属を用いる萩原の制作スタイルは、東京藝術大学の学生時代まで遡る。実力者ぞろいの彫刻科でなんとか自分のスタイルを模索するうち、ゲーム会社のアルバイトで触れた3Dモデリングに活路を見出した。
「ゲームなどで3DCGの進化には触れてきましたが、自分でモデリングしてみると、かたちを作る考え方に面白さを感じました。三次元空間の中で座標や頂点を設定して、面を張っていくポリゴンの作り方は、塊を彫ったり盛ったりしていく彫刻の伝統的な技法と全く違う。この考え方を取り入れていけば、自分のスタイルになり得ると思いました」(萩原氏)
3DCGでは現実世界に存在しない「厚みのない面」や「太さのない線」も描くことができる。実空間にそうした印象を表現するため、萩原は素材として金属を選択した。金属彫刻と聞けば、重量感のあるマッシブなイメージが強いが、萩原は重力の影響を受けない3DCGのような表現をするため、細いワイヤーのような素材を主軸に利用していった。
3Dプリンターを導入するにあたっては、モチーフの変更を余儀なくされた。熱溶解積層方式の3Dプリントは、細い線を自立させるような造形が不得意だったからだ。3DCGらしい座標や面の考え方や、金属という素材に学んだ、空間を区切ってボリュームを獲得する見せ方。それらの特性を生かせる対象として選ばれたのが、動物たちのワンシーンを切り取ったようなモチーフだった。
「当時、美術予備校でデッサンを繰り返し指導する中で、立体の明暗を分ける稜線の取り方の重要さを改めて認識しました。また、動物を平面で表現するデザイン課題でも、その動物を動物たらしめる最小限の要素について議論し、指導していました。そういった、教える立場として自分が予備校で感じたことも制作にフィードバックすべきだと思ったのです」(萩原氏)
立体さえ複製可能な時代の芸術
3DCGに親しんでいた萩原にとって、3Dプリンターを使い始めることのハードルは低かった。しかし、萩原はただ造形のツールとして3Dプリンターを使うだけでなく、現代における彫刻の在り方についても思索を深め、自身の作品制作と同時に、複製を積極的に推奨する取り組みも行っている。
「写真の登場によって、絵画は一度死んだといわれています。しかし、写実的な表現から解放されたことで、新しい価値観に基づく表現が次々と生まれてきました。紙の印刷技術が広まったことで、文学や出版物の楽しみ方も変わっています。彫刻はそういった歴史からある種取り残されてきたのですが、技術の進化によって立体物の複製も容易になった現代では、それに即した在り方に変化していくべきだと思いました」(萩原氏)
「多くの芸術作品は技術的に複製が可能であっても、エディション(制作数)を絞ることで価値を担保してきました。経済的な事情に左右される部分もあると思うのですが、僕はその考え方になじまなかった。かといって、依頼を受けて自分で同じものを作り続けることもクリエイティブには感じられないので、それならば3Dデータを用いてレプリカを購入できるようにすればいいと思ったのです。
最初は国内外のサービスで3Dプリントされたもの自体を入手できるようにし、今は素材や造形方法なども鑑賞者に委ねるため、自分自身で3Dデータの販売を始めました。たくさんの制作事例が見えるのは純粋に楽しいし、プロモーションという意味でも効果があると感じています」(萩原氏)
興味深いのは、3Dデータを入手したからといって、本物を見なくていい、とはならないことだ。むしろ手元で形状を眺め、手で触れることによって、一点ものの実物を見たときの驚きや興奮が高まっていく。実際に、データを購入した人からは、実物を見たくなったという声も届くという。絵画が写真や印刷物に写し取られ広まっていったように、彫刻の楽しみ方もまた、今まさに変化の最中にあるといえるだろう。
3DCGは彫刻の素材たり得るか
萩原によれば、彫刻は素材の特性や制約と向き合う表現手法だという。制作者はもちろん、鑑賞者も「石なのに軽そう」「木なのに丈夫」といった具合に、意図せずとも素材の特性と向き合っている。今、萩原にとっての彫刻の素材は、「3DCG」そのものだという。
「素材が持つ特性や制約と向き合い、作りやすい形や作りづらい形を考えていく工程こそ、彫刻ならではの要素です。3DCGが持つ『複製可能』『場所の制約を受けない』『出力の仕方が自由』といった特性を突き詰めて考え、制作に落とし込むことで、僕の作品も彫刻の歴史につながっていくと考えています」(萩原氏)
哲学者のヴァルター・ベンヤミンは『複製技術時代の芸術作品』の中で、かつて芸術作品が持っていた「いま」「ここ」にしか存在しないことで保つ一回性の価値(アウラ)が、複製技術によって切り離されていく様を評した。絵画や写真のみならず、立体彫刻にも複製技術が及ぶ現代において、彫刻家である萩原はその射程から逃れるどころか、テクノロジーを前のめりに使いこなそうとしている。
コロナ禍に始まった3Dプリンターでの彫刻制作。時を経て、造形手段としての必然性から解き放たれてなお、彫刻の素材として3DCGと向き合い続ける萩原の作品は、複製が容易なデータと不可分な暮らしを送る我々にも、新たな視点をもたらしてくれるはずだ。
お知らせ
萩原亮の個展「プロセスとかたち」が2023年10月20日から26日にかけて開催される。記事中で紹介した「Retopology」シリーズのほか、萩原が動物をつぶさに観察したドローイングや、3Dスキャンの対象となった粘土のマケットなどが展示される。制作のプロセスや複製によって生み出されるかたちの数々を、是非その目で楽しんでほしい。
プロセスとかたち 萩原亮 個展
会期:2023年10月20日(金)~2023年10月26日(木)
時間:12:00~19:00(最終日17:00)
会場:ギャラリー自由が丘
住所:東京都世田谷区奥沢5丁目41-2 アトラス自由が丘ビル1F
https://www.gallery-jiyugaoka.com/