サウナは健康インフラ
医学博士が「ととのい値」が分かるサウナウォッチを開発した理由
ここ数年、サウナはブームとなり、愛好者は増えるばかりだ。彼らは「サウナー」と呼ばれ、サウナがもたらす心地良さを「ととのう」と表現する。「ととのう」とは科学的にどんな状態なのか? 体の中で何が起きているのか? デバイスを用いてその数値化を意図した医師がいる。がんゲノム医療の研究者にしてサウナ学会代表理事の医学博士 加藤 容崇(かとう やすたか)先生だ。
先生が自ら開発し、監修した「サウナウォッチ」はGakkenが発売する「大人の科学マガジン」の付録にもなった。先生に話を聞いた。(撮影:加藤 甫)
「ととのう」とはどういう現象か?
アメリカ ハーバード大学医学部での勤務を終え、2017年に帰国した加藤先生は、サウナに対しては当初懐疑的だったという。サウナーの友人に連れられて自ら体験すると見方が変わった。科学的な興味を覚え、世界中の論文をあたった。
体が「ととのう」を経験すると、リラックスした状態の中でも集中力が高まる科学的な論拠を知った。心筋梗塞のリスクを低減し、認知症や精神疾患のリスクを下げる効果がある、との論文もあった。
ところが、サウナの科学的な原理や効用について、これら明確なエビデンスが日本ではほとんど知られていないことに衝撃を受けた。「ととのう」とはどういう体の状態なのか、先生は語る。
加藤先生:「ととのう」は科学的に説明できる状態です。そこには、交感神経と副交感神経という2つの自律神経、ホルモンなどが関係しています。
サウナは、サウナ室で体を高温状態にし、その後水風呂に入って、外気浴で休憩するまでが1セットなのですが、サウナ室も水風呂も体にとってストレスがかかる環境です。交感神経は緊張したときとか、体にストレスがかかったときに、瞬間的にパフォーマンスを上げる神経なので、サウナ室や水風呂では優位になっています。ただ、過酷な環境にアジャストする神経なので、当然長くは機能しません。厳しい環境に耐えるだけでは体が持たないので。
体は交感神経が活性化した後、必ず副交感神経が活性化するようにできています。副交感神経はリラックスしているとき、体を修復するときに活性化する自律神経です。普通だと、優位になるにつれて眠くなるのですが、サウナでは違った状態が現れます。
サウナ→水風呂→休憩みたいに急激に自律神経をスイッチングすると、体の中で置いていかれるものが1つあります。血中のホルモンです。アドレナリンなどのホルモンは普通、交感神経と一緒に上がり、一緒に下がります。ただ、電気的な活動でもある神経と同じスピードではなく、タイムラグがあります。サウナのような急激な変化だと、アドレナリンなどの興奮物質が残っているのに副交感神経が活性化してリラックスする瞬間があります。これが「ととのう」の正体です。時間にして約2分。2分経つとホルモンは血流に乗って肝臓で代謝され、効果が半分以下に下がってしまい、「ととのう」状態は終わります。
なぜサウナウォッチを開発したか?
サウナでは自分の体と向き合い、体への負荷を加減する必要がある。しかし、自分の体と向き合うことに慣れていない人は多い。多くの人はサウナ室を出る際に、汗の量やサウナ室の温度、砂時計や12分計などを見て滞在時間を調整している。
しかし、これは外的な情報であり、体の内面と向き合っていないため、逆に「ととのう」が遠のいてしまっていることに先生は気が付いた。いきなり自己と向き合うことは難しいので、サウナーが自らの自律神経の働きを知る相棒となるデバイスが要る。そして生まれたのがサウナウォッチだった。
サウナウォッチは時計や心拍計としての機能のほか、アプリと連動して「ととのう」を数値化した「ととのい値」が分かるのが大きな特徴だ。先生は「ととのう」をどうデータ化したのだろうか?
加藤先生:自律神経の活動状態は心臓に現れます。心拍数はひとつの指標ですが、自律神経の細かい動きを見るためには「心拍変動」を捉えることが必要です。
心拍は一定のリズムですけど、ちょっとずつ増減しています。その増減は心拍変動としてセンシングできます。このときの心拍変動の増減は、高周波と低周波の2つの成分に分解できます。その比率を取ることで、自律神経の活動を推測し、サウナ浴時、独特の自律神経の変化のパターンを解析して「ととのい値」として数値化しています。
よくある心拍計では、省エネのためにそんなに細かく心拍を取るということはしていません。サウナウォッチでは取りっぱなしにして、もっと詳細にデータの変化を見ているという感じですね。
迷った挙句、原点に返る
何をどうセンシングし、解析すれば良いか、理論は分かっているものの、その機能を実際のハードウェアに落としこむ作業は、容易ではなかった。
加藤先生:当時、サウナに対応しているデバイスは世界に1つも存在していませんでした。企画を大手のデバイス会社に持ち込んだのですが、サウナ専用デバイスというニッチな世界なので、「量産に向かない」ということで断られました。それなら自分で作るしかないと。
私にはものづくりの経験がありました。今も、がんの遺伝子検査の検体処理を自動化するロボットを検査会社と開発しています。エンジニアリングの知識もあったので、サウナウォッチも自分で作れると思いました。
ただサウナウォッチは高温多湿という、機械にとって最悪の環境下で使用する特殊なデバイスです。高温対応のCPUやセンサーなどの精度、あるいはバッテリー容量は、コストとはトレードオフの関係です。どうバランスを取るか悩んだ挙句、原点に返ることにしました。
私は遺伝子医療の研究者として、日々がんに向き合っています。がんになってしまうと治療は容易ではありません。予防医療の重要性は身に染みています。「健康インフラとしてのサウナを普及させて予防医療に貢献したい」ということが私の原点です。安全性を担保しつつ最低限の精度を保ち、バッテリー容量もギリギリの線を狙って、できるだけ価格を抑えて多くの人に使ってもらうことを目指しました。
中国 深センで開発会社を探したのですが、そもそも高温対応の安いデバイスの製作に経験値がある会社などありません。試行錯誤しながら共に知見をため、一緒に開発してくれる会社を見つけるまで、いろいろと苦労しました。
スタートから3年が経ち、開発の目処が立ったころ、大人の科学マガジンさんから声をかけてもらいました。作った後、どうやって宣伝し、普及していくかということも課題となっていた時期だったので、タイミングも良かったと思います。こうしてコラボが実現しました。
日本の予防医療を産業に
加藤先生の「予防医療を充実させたい」との思いは、サウナウォッチにとどまらない。これを「はじめの一歩」として、日本の予防医療そのものを変えていきたいという。そのための会社(100plus)も設立している。
加藤先生:がん遺伝子の解析では、海外製の検査が主流です。試料の多くはアメリカに送られ、解析されて、日本には結果レポートが戻るだけ。膨大な日本人の遺伝情報が垂れ流しになっており、彼らは創薬にもそのデータを使っています。これでは日本の医療産業は育ちません。
予防医療においても、データを海外製の健康装置に吸い取られていたら、産業になりません。日本製のデバイスで収集した日本人の医療データをパーソナルヘルスレコードとして保存し、関係者でシェアできる体制が必要だと思っています。サウナウォッチだけでなくいろいろなデバイスを作りながら、そのさきがけになりたいという思いでいます。将来、電子カルテと結びつけ、パーソナルヘルスレコードが見られるようになると予防医療も発展すると思います。自分の研究と並行して進めていければ、と考えています。
サウナから発展したデバイスが日本の予防医療の改革にもつながっている。加藤先生の壮大な計画は始まったばかりだ。