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2024年夏に成層圏での「気球宇宙遊覧」がスタート——岩谷技研が目指す有人飛行

気球による高度2万m台の有人飛行を目指す「岩谷技研」。2024年夏には有人による商業運航をいよいよスタートする。同年6月2日に実施した試験飛行では高度1万555mの成層圏に到達した。

fabcrossは、北海道江別市にある同社の製造拠点とオフィスを取材。創業者の岩谷圭介氏に加え、高高度気球の飛行試験や、キャビン搭載機器の開発に勤しむ社員にインタビューした。実現までに数十年を要するとも言われた成層圏の有人飛行、その夢を叶えようとする人たちの思いに迫る。(※クレジットのない写真は筆者撮影)

江別市に開発拠点を集約、84人の社員が夢の実現を担う

札幌から電車で30分ほどの場所にある江別市に岩谷技研の拠点がある。元はパチンコ店が入居していたという広大なスペースでは、気球が製造されていた。

JR大麻(おおあさ)駅近くにある岩谷技研の製造拠点の一つ。気球の製造ラインでは、常時約10~20人の社員が常時働いている。 JR大麻(おおあさ)駅近くにある岩谷技研の製造拠点の一つ。気球の製造ラインでは、常時約10~20人の社員が常時働いている。

2023年に掲載したインタビュー記事でも伝えたように、岩谷技研は、気球やキャビン、キャビン内に装備する生命維持装置などの開発から製造までを一貫して内製化している。たとえば、気球にとって最も重要な技術の1つである、生地同士を圧着させる方法や製造に必要な機器もすべて自社で開発している。

また、別の部屋では飛行機や自動車の最終部品の製造にも使用される粉末焼結方式の3Dプリンターが稼働していた。試作開発用途としてFFF(熱溶解積層)方式の3Dプリンターも40台以上導入されているという。多くのスタートアップがアイデアの着想から実現までのサイクルを短くするために、3Dプリンターを導入しているが、岩谷技研の場合は3Dプリンター製ではない他の部品も含めて大半の部品を社内で製造し、さらに製造した部品で組み立てられた気球の飛行試験も自社で実施する。

約4年間で実施した飛行試験は無人飛行400回、有人飛行数十回になるという。開発、製造、飛行試験をすべて自社で完結するため、改善までのサイクルも早い。

江別市郊外にあるキャビン製造工場。機体の外装は繊維強化プラスチックを貼り合わせたもので、高強度と軽量を両立させている。取材時は次の試験飛行に使用するキャビンの組み立て作業が進められていた。 江別市郊外にあるキャビン製造工場。機体の外装は繊維強化プラスチックを貼り合わせたもので、高強度と軽量を両立させている。取材時は次の試験飛行に使用するキャビンの組み立て作業が進められていた。
岩谷技研の有人宇宙遊覧プロジェクトの記録(プレスリリースより抜粋)。 岩谷技研の有人宇宙遊覧プロジェクトの記録(プレスリリースより抜粋)。

2023年に、札幌市と江別市にわかれていた拠点を江別市内に集約したことによって、設計部門と製造部門のコミュニケーションの密度も濃くなり、開発スピードはさらに高まったという。

その成果は実績にも現れている。2022年2月に有人係留飛行試験で高度30mに到達すると、翌2023年10月には係留なしの有人飛行試験で高度1万669mの成層圏まで記録を伸ばした。その間も飛行試験を幾度となく繰り返し、着実に成果を積み重ねている。こうした成果の積み重ねが資金調達の面でも後押しとなった。これまでにVCや事業会社から調達した資金は約20億円。周囲からの期待の高さがうかがえる一方で、創業者の岩谷圭介さんは「できると分かっていることを、地道に続けてきた結果」と振り返る。

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2024年6月に実施した試験飛行の様子。岩谷技研では関係機関との調整や必要な届出を事前に行った上で、飛行試験を行っている(写真提供:岩谷技研) 2024年6月に実施した試験飛行の様子。岩谷技研では関係機関との調整や必要な届出を事前に行った上で、飛行試験を行っている(写真提供:岩谷技研)

「この2年半がむしゃらに開発してきた結果、試験のたびに記録を伸ばせたのだと思います。その過程で『実現できるかどうか分からない』と思ったことはなく、『できて当然』のことをやるだけだという心境でした。私たちが目指す有人飛行は常に危険と隣り合わせであり、明確に人命が関わっています。だからこそ、『どうなっているか分からない』という状況は許されません。高度2万m前後での飛行という目的に対して、あらゆる問題が発生します。その問題の一つ一つに複数の回答を用意し、何が起きても安全に収束するような仕組みにする必要があります」(岩谷さん)

ステップアップに応じて新たに生まれる課題を一つ一つ丁寧に対処した。その結果、順当に試験飛行に成功し、事業を前進させる上で必要な資金や人材の確保にもつながる好循環が生まれた。当初から計画を進めている有人飛行は個人向けのビジネスだが、法人向けのビジネスも始まっている。詳細は契約上明かせないとのことだが、有人飛行だけではなく、さまざまな収益源を確保できる可能性があるという。

「私たちは気球飛行の先行者として、既にさまざまなデータを保有し、必要な機材や実験設備を開発しているアドバンテージがあります。規格自体も自分たちが決めており、常に将来を見据えたデータや規格の在り方を考えながら開発を進めています」(岩谷さん)

発明家の夢に伴走する精鋭

商用での有人飛行の計画は当初2023年を想定していたが、およそ1年遅れで進んでいる。その理由について岩谷さんは、技術面ではなく組織面での課題があったと語る。それは地方を拠点とするスタートアップに共通する悩みだった。

「北海道ということもあり、都市圏のスタートアップのようには採用できないという課題がありました。そのため実績を積み重ね、成果をPRすることで、地元にいる優秀な人材に自分たちの存在を認知してもらうことに注力しました」(岩谷さん)

全国区のテレビ番組や地元テレビ局のニュース、Webメディアのニュース記事などで岩谷技研を知ったという社員も多いという。2024年6月時点は84人の社員を擁するチームへと成長している。

メカ設計エンジニアで機構チームリーダーを務める家弓国広(かゆみくにひろ)さんは、カメラや携帯電話などの民生機器の設計エンジニアとして20年以上のキャリアを積んできた。全く異なる開発現場、それもスタートアップへの転職を後押ししたのは家族だったという。

「私以上に岩谷技研に興味を持ったのは妻でした。私がそれまで大企業の設計開発のさまざまな現場で苦労してきたのを一番知っていましたから、全く違う環境に身を移した方が活躍できると感じたのでしょうね。『絶対に行った方がいい』と乗り気でした」(家弓さん)

岩谷技研で機構チームリーダーを務める家弓国広さん。大手家電メーカー数社でカメラや携帯電話エンジニアとして活躍後、岩谷技研に入社した。 岩谷技研で機構チームリーダーを務める家弓国広さん。大手家電メーカー数社でカメラや携帯電話エンジニアとして活躍後、岩谷技研に入社した。

その予想は当たった。0.1mm単位の制約と戦いながら、安全性や機能性を考慮して設計してきた家弓さんの経験は、気球のキャビン設計との相性も抜群だった。

「小さいものを設計してきた技術は、大きなものにも応用できる」という確信を得たと入社当時を振り返る。

「これまで、0.1mm 単位で設計してきた知識はすぐに生かせました。これまで一般消費者が手に取るものを設計してきたので、手に取ったときの質感や心地よさへの配慮は、お客様を乗せて飛行するキャビン室内の設計にも通じるものがあります」

プロジェクト開始時に製造したキャビン内部の原寸大モック。快適に飛行を楽しめる内装も商用飛行では重要だ。 プロジェクト開始時に製造したキャビン内部の原寸大モック。快適に飛行を楽しめる内装も商用飛行では重要だ。

キャビンを製造するキャビンチームのリーダー、森本千誠(もりもとちせい)さんは、JRから転職したエンジニアだ。大学では金属工学を学び、JR北海道に入社。鉄道車両の検査修繕業務に当たっていた。2022年5月に岩谷技研に転職し、現在は家弓さんらが設計した図面を基にキャビンの製造に従事している。

大企業からスタートアップへの転職で戸惑ったことはないか尋ねると、森本さんは考える暇はなかったと笑いながら答えた。できそうな仕事があればがむしゃらに取り組むことでギャップを埋める努力をしたという。

「私が入社した頃はエンジニアが10人もいなかった時期で、あらゆる規格や仕様から業務工程をゼロから自分たちで考えて実行していました。入社当初は自分にできそうなことはなんでもやるというスタンスで取り組んでいましたね。最初の仕事はプールに開発中のキャビンを浮かべることでした」(森本さん)

業務に慣れるに従い、自分の経験が生かせる勘所もつかめた。前職で培った検査項目や記録の付け方、点検業務の工程設計などの経験が生かされているという。経験のない業務にも積極的に取り組み、失敗した際も次に生かせるように前向きに捉えることが大事だと語る。

取材当時は森本さんのデスクは気球の製造工場内にあった。現在は別の建物に移ったという。 取材当時は森本さんのデスクは気球の製造工場内にあった。現在は別の建物に移ったという。

岩谷技研で気球のパイロットとして勤務する宮嶋香和(みやじまたかお)さんは、ユニークなキャリアの持ち主だ。メーカー勤務を経て、フリーランスとして働いた後、36歳の時に米国で自家用飛行機のパイロットの免許を取得。たまたまWeb上で見た岩谷技研の求人に応募し、宮崎県から家族で北海道に移住した。

「たまたまニュース記事で岩谷技研のことを知り、強烈な印象を受けました。自分自身が宇宙から地球を見たいという気持ちもありましたが、岩谷技研が掲げる『宇宙の民主化』というミッションに強く共感しました。ごく一部の限られた人しか体験できなかったことを実現しようとする現場に立ち会いたいという思いで応募しました」(宮嶋さん)

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宮嶋さんは入社後に気球の操縦免許も取得。飛行機と比べると一般的な気球は感覚で飛ばす要素が強いというが、岩谷技研の高高度気球の操作は、自然法則や実績データをより重視しながら再現性の高い操作が求められると分析する。

「私たちが高度2万mでの有人による高高度飛行の基準を作るという立場にいることもあり、試験ではあらゆる事態を想定しながら最善のプランを瞬時に判断し実行することが要求されます」(宮嶋さん)

ガスバーナーで暖めた空気で飛行する熱気球はガスの残量が生命線ともいえるが、ヘリウムガスの量を調整しながら気球に積んだバラスト(重り)を捨てることで上昇するガス気球は、ヘリウムガスの残量とバラスト量が生命線となる。

宮嶋さんは地上からのサポートも受けつつ、事前に情報収集した飛行エリアの風に関する予報や、過去の記録や経験を生かしながら飛行試験を行っている。

「上昇中に受けた風を記録して、『この風は使える、使えない』という判断材料を自分の中で積み重ねています。その蓄積を基に頭の中で『この地点まで行ったら、この風を使おう』といったシミュレーションをしながら飛行しています」(宮嶋さん)

試験飛行中の宮嶋さん(写真提供:岩谷技研) 試験飛行中の宮嶋さん(写真提供:岩谷技研)

岩谷技研では、将来的に有人飛行サービスの運営は外部企業と提携することを予定しており、宮嶋さんらパイロットは提携先の運営企業で教官として飛行技術を教える役割を担うことも想定されている。世界でも前例のない有人飛行サービスだけに、自分たちの経験や知識の全てが教科書となる。だからこそ感覚だけではない、再現性のある情報が欠かせないという。

部活のようなにぎやかさと、スタートアップのスピード感

北海道では技術職の仕事も少なく、ましてやスタートアップで働く機会は都市圏と比較すると圧倒的に少ないという。そうした貴重な機会を得た3人は、どのように働いているのだろうか。

大手企業からスタートアップに転職して、スピード感の違いに圧倒されたと家弓さんは語る。

「社長(岩谷さん)に設計した図面を持ち込んで、『社長、どうでしょうか』と提案したら、『いいですね』という返事が返ってきたんです。その意味をつかみかねて、すぐ近くにいた上司に『いいですねって言われたんですけど、どういう意味ですかね』と尋ねたところ、『それは進めていいってことだよ』と言われ、衝撃を受けました。それまでは、さまざまな承認を取らなければ先に進めない環境でしたから、この意思決定のスピードに慣れていく必要がある、と身が引き締まる思いでした」(家弓さん)

森本さんは、プロフェッショナルが集まる集団でありながら、部活のようなにぎやかさのある雰囲気に前職とは違うカルチャーを感じている。

「学生時代の柔道部を思い出す雰囲気がありますね。皆さん中途採用で入っているので、何かしらの専門性を持った上で大人としての会話をしつつ、和やかな雰囲気もあります。家弓さんが言ったように製造部門もスピーディーに仕事が進むので、実際に作ってみたときの不具合や課題も走りながら解決していくという考え方が求められている印象があります。何か尋ねた際に回答が出るまでのスピードも速く、自分が思ってもいなかった答えが出ることもあって、日々驚きと発見があります」(森本さん)

過去にベンチャー企業での勤務経験がある宮嶋さんは、岩谷さんを次のように評する。「細かい悩みや難しい課題に対しても必ず解決策を持っている人ですね。経営者の中には現場からの相談に対して『うまくやっといてよ』と任せるタイプの人もいますが、具体的な解決策を常に提示するのが特徴的だと思います」(宮嶋さん)

森本さんは岩谷さんとのコミュニケーションを通じて、強い使命感を覚えるようになったという。

「日々社長と接していると、本当は製造や組み立てを自分でもやりたいんだろうなという雰囲気がひしひしと伝わってきます。そういったこだわりのある大事な仕事を自分たちは託されているんだという気持ちが常にありますね」(森本さん)

岩谷さんを囲んでの一枚。ちなみに背後にあるロゴの造作物は家弓さんが社内にあるレーザーカッターと合板で製作したものだとか。 岩谷さんを囲んでの一枚。ちなみに背後にあるロゴの造作物は家弓さんが社内にあるレーザーカッターと合板で製作したものだとか。

夢を叶えた先にあるもの

岩谷技研は2023年に第一期となる遊覧体験の搭乗者を募った。2400万円という費用にもかかわらず募集枠を超える応募が集まったという。同社は、サービスの発表段階では、高高度気球の搭乗価格を将来的に100万円台にしたいとアナウンスしていたが、燃料費や物資の高騰から数百万円台になる見込みだ。最終的には200~400万円台での提供を目指している。

また、現状の飛行はパイロットも含めた2人乗りだが、将来的には6人乗りキャビンによる飛行も視野に入れている。キャビンだけでなく気球のサイズもさらに大きくなるため、時期は未定だが新たな工場の新設も計画中だ。

正式サービスの開始に向けて開発は順調に進んでいるが、試験飛行は常に緊張する瞬間だという。

地上にいる社員の期待を背負う宮嶋さんは、冷静かつ強い信念を持って試験飛行に取り組む。

「飛んでいる最中にあれこれ考えることはありません。いかに地上で準備とイメージトレーニングを積み重ねるかが重要です。あらゆるパターンを想定して、飛行中は常に複数の選択肢がある状態を維持し、その優先順位も自分で考えて、最後まで集中してやりきるだけです。設計と製造のメンバーが空中よりも過酷な環境試験をしていることを知っていますので、飛ぶことの不安は全くありません。むしろ飛行機よりも安全なもので飛んでいるという実感がありますね」(宮嶋さん)

フライトに向けて開発が進むキャビン。将来的には6人乗りまで拡張する計画だ。 フライトに向けて開発が進むキャビン。将来的には6人乗りまで拡張する計画だ。

今回の取材では、岩谷さんに加え、各チームで働く社員の方々の言葉を通じて岩谷技研の開発体制と現場の様子をお伝えした。実は対面でじっくり岩谷さんと話をしたのは、2014年の取材以来。当時はヘリウム風船による空撮だったが、10年をかけて高度2万m付近への有人飛行が実現する一歩手前まで来ている。

米国第16代大統領のエイブラハム・リンカーンは「意思があるところに道は開ける」と言ったという。その言葉の通り、岩谷さんが10年以上前から持ち続けていた強い意志の下にチームが生まれ、道が開かれようとしている。

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