マーブルマシンビルダー 原田直樹インタビュー
アナログシンセからピタゴラ装置まで生み出す異彩のMaker原田直樹の世界
2015年暮、毎年回を重ねてきた、アナログシンセを自作する電子工作の猛者が集まる「アナログシンセ・ビルダーズ・サミット」が15回目の開催を数えた。その会場で異彩を放っていたのが、たくさんのLEDがキラキラと輝き、ボールがレールの上を走り回る、nao_denhaさんこと原田直樹さんのブース。その会場を訪ね、Maker Faireなどでも人気が高い原田さんの作品についてお話を伺った。(撮影:加藤甫)
子供たちのハートを鷲掴みにするマーブルマシンとLEDバッジ
パチンコ玉ほどの鉄球が針金で作られたレールの上を転がる「マーブルマシン」や、ピューンという電子音を奏でる小さなシンセドラム、切手ほどの大きさの基板にたくさんのLEDが並びキラキラと明滅するバッジなど、子供たちの好奇心を掴んで離さないアイテムが並ぶブースは、どのイベントでも常に人だかりが絶えない。いずれのアイテムも驚くほど小さなサイズ。そこに回路や部品を収める設計や製作のスキルにも感心するが、全てが原田さんの手一つで作り上げられいると聞けば、その仕上げの美しさも感嘆するばかりだ。
しかし、マーブルマシン、シンセサイザー、LEDバッジと、それぞれのアイテムには、一見するとその関連性に脈絡がない。原田さんがこうしたモノに惹かれ、自らの手で作り販売するようになるまでには、どのような経緯があったのだろうか?
電子工作との出会い@中京地区
プラモデル大好きな工作少年だった小学生の頃、引っ越した先が愛知県内の春日井市だった。その土地柄は、工作少年としての生い立ちにも影響を与えた。
「家の近くにパチンコ台の工場があって、焼却炉の前にパチンコ台の部品が捨ててある。いわば宝の山。それを学校帰りに漁って、電池とつなげて遊んでました」
中学生になるとLEDが交互に点滅する電子工作キットがタミヤから発売され、早速購入。名古屋市内にある大須の電気街に初めて行ったのもその頃。LEDが単体で売られている様子に大興奮したという。部品を買い集め、タミヤのキットをユニバーサル基板上で再現したりもした。
高校に進学し電子科に通うようになると、大須にも途中下車で通い放題。この頃には雑誌「初歩のラジオ」に掲載されたLEDバッジの回路図をもとに、他の電子工作の記事からその仕組みを抜き出し、それをバッジ化するなど、オリジナルなバッジを作れるほどになった。
シンセサイザーとの出会い@中京地区
一方、電子工作に興味があったこともあり、シンセサイザーという言葉は中1くらいの時に、何でも音が作れる電子楽器として聞いたことがあったが、興味を持つのは少し後のこと。
「つボイノリオさんのラジオ番組を聴いていたら、番組のテーマ曲がチッチキチッチキって聞こえてきて。友達からYMOの“ライディーン”だと教えてもらい、カセットテープを借りて聞くうちにどんどんのめり込んでいきました。それで、シンセサイザーを使うとYMOと同じようなことができるってわかって、バイトで稼いだお金でだんだん楽器を増やしていったんです」