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Maker経由の金工アーティスト内山翔二郎が生み出す、金属と昆虫の世界

カブトムシやアメンボ、アリなどのなじみ深い昆虫や、蚊、ゴキブリ、ムカデといった不快害虫など、さまざまな昆虫をモチーフに金工で作品を制作するアーティストがいる。

内山翔二郎さんが生み出す作品には細部にまでこだわったリアリティと、体内に仕込まれたギアやモーターといった空想をかき立てるファンタジーが同居する唯一無二の魅力がある。昆虫版ターミネーターといった雰囲気はありながらも、生き生きとしたたたずまいも同居している。過去に制作した害虫は害虫駆除剤メーカーが所蔵しているものもある。

内山さんは、かつて東京にあった大型ファブ施設でも技術スタッフとして勤務していた。そこで、ビジネスや業界のヒエラルキーとは関係なく、純粋にものづくりを楽しむ会員たちから大きな刺激を受けたという。そんな内山さんの作品にはアートという枠組みを超えて、老若男女を引きつける力がある。

Makerの自由な発想に影響を受けつつ、常に新しいアプローチを模索する内山さんを訪ねて、神奈川県にある工房を取材した。(クレジットのない写真の撮影:加藤甫)

リアリティとファンタジーが同居する作品に込めたもの

内山さんは鉄を加工した外骨格と、既製品のギアやモーターを組み合わせて昆虫を制作する。その制作プロセスは、昆虫の実物や写真を観察しながら型紙を描くことから始まる。型紙通りに裁断した金属を組み合わせて加工するが、紙のパターン通りに曲がらない部分もあるため、型紙と金属を何度も往復しながら完成に近づけていくという。レプリカのように細部まで再現するのではなく、観察から特徴を捉え形に起こす。そこに機械の要素を盛り込むことでリアルとファンタジーの境界線にいるような作品を生み出すのだ。

大きさにもよるが、大型の作品になると制作期間に2カ月を要する。
2012年の第16回 岡本太郎現代芸術賞で特別賞を受賞した作品は、およそ3カ月をかけて制作した全長4mを超す巨大なゴキブリだった。

ゴキブリをモチーフにした巨大な作品「Never Die」(2012)。現在は「ごきぶりホイホイ」など害虫対策用品で知られるアース製薬の研究所(兵庫県赤穂市)に展示されている。同研究所はゴキブリを100万匹飼育する世界最大級の研究施設。展示場所としては申し分ない。(写真提供:内山翔二郎さん、撮影:中村エリ) ゴキブリをモチーフにした巨大な作品「Never Die」(2012)。現在は「ごきぶりホイホイ」など害虫対策用品で知られるアース製薬の研究所(兵庫県赤穂市)に展示されている。同研究所はゴキブリを100万匹飼育する世界最大級の研究施設。展示場所としては申し分ない。(写真提供:内山翔二郎さん、撮影:中村エリ)
蚊をモチーフにした「Summertime Blues -Mom-」(2013年)。こちらはKINCHOブランドの蚊取り線香で知られる大日本除虫菊の本社に展示されている。(写真提供:内山翔二郎さん、撮影:中村エリ) 蚊をモチーフにした「Summertime Blues -Mom-」(2013年)。こちらはKINCHOブランドの蚊取り線香で知られる大日本除虫菊の本社に展示されている。(写真提供:内山翔二郎さん、撮影:中村エリ)

内山さんの作品には人間から忌み嫌われる害虫が多く選ばれている。あえて害虫を選んでいるわけではないが、気になった昆虫を選んでいくうちに害虫にたどり着くことが多いという。

「どんな虫であれ命の価値や単位としては等しいのに、害虫というだけで人間に殺されてしまうところに引かれているのかもしれません。害虫もよく見たら、カブトムシやクワガタのようにかっこいい部分もあるんです」(内山さん)

内山さんが生み出す昆虫にはメッセージを込めた工夫が凝らされている。「No Weapon」と題された作品はスズメバチがモチーフだが、尾に針はない。争いごとがなくなるようにという思いが込められているのだ。

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スズメバチをモチーフにした「No Weapon」(2022)は、メカニカルな羽の部分に注目しがちだが、腹の先端には針がない。 スズメバチをモチーフにした「No Weapon」(2022)は、メカニカルな羽の部分に注目しがちだが、腹の先端には針がない。

モチーフ選びは展示場所から考えることもあるという。
三嶋大社(静岡県三島市)の近くにあるギャラリーに出展した際には、脚をこすり合わせる仕草が拝んでいるように見えることからハエを制作。三嶋大社の方面を向いてハエが拝むように設置した。

「祈り」(2022年) 「祈り」(2022年)

昼間の光が差し込むギャラリーに出展する際には床面に油をひいた黒い板を設置し、その上にアメンボの作品を展示した。光に反射する床が水面のように見える仕掛けだ。

「after the rain」 (2012年)(写真提供:内山翔二郎さん) 「after the rain」 (2012年)(写真提供:内山翔二郎さん)

昆虫とファンタジーが入り混じった内山さんの作品はアートシーン以外でも注目されはじめている。2022年秋には関西の大手百貨店に出展。アート鑑賞が目的ではない人たちが内山さんの作品に足を止めた。

「予想はしていましたが子どもの反応が良くて嬉しかったですね。自分としてはパブリックアート(公共的な空間に置かれる芸術作品)を作りたいという気持ちは年々強くなっているので、アートとは関係のない一般の方々から反応があったことに手応えを感じました」

害虫駆除メーカーから子どもたちまで引きつける内山さんの作風はどのように確立したのか。そして、その先に何を見据えているのか——。内山さんの生い立ちを伺った。

何にも夢中になれなかった少年時代から美大へ

内山さんは1984年生まれ。現在も制作の拠点としている神奈川県相模原市で育った。少年時代は工作が好きだったという。代々農家だった実家周辺は自然が豊かで、現在のモチーフとなる虫たちは、ごく自然に身の回りにいる存在だった。

美術の道を志したのは高校卒業目前。熱中できるものが見つからないまま、大学浪人が決まっていた18歳の春に自分の進むべき道に悩んだ。ふと思い出したのは小学生の頃に母親に連れられた彫刻家の展示会だった。作者は山梨県出身の彫刻家、星野敦さん。一時期、相模原市にアトリエを構えていた星野さんと、地元の縁でつながったのがきっかけだった。

「この先、自分に何ができるだろうと考えていた時に、子どもの頃に見た星野さんの作品がずっと頭の隅にこびりついていました。星野さんのように鉄を使った作品を自分でも作ってみたいという気持ちが強くなり、そこから初めて美大受験のための予備校に通うようになりました」

インタビューに答える内山さん。取材は内山さんの工房で行った。 インタビューに答える内山さん。取材は内山さんの工房で行った。

内山さんは日本大学芸術学部に入学。2年間彫刻の基礎を学んだ後、3年生からは星野さんと同じ金属を使った彫刻作品制作に没頭した。虫をモチーフに選んだのは大学4年生の頃。それまで抽象的なモチーフを選んでいたが、出来上がりはしっくり来なかった。憧れて選んだ彫刻なのに、やりたいことができていなかったと内山さんは振り返る。

今まで制作した作品を振り返ってみて、一番楽しかったのはカエルをモチーフにした鉄の作品だった。内山さんはそこからアイデアを派生させ、子どものころから身近にいた昆虫たちに行き着く。

「生まれ育った家は古くからある家で、風呂場には大きなカマドウマがよく出ていたのを思い出しました。あの気持ち悪い感じを表現したいと思ったのがきっかけです。カエルを制作したときは鉄の板をつなぎあわせて表面を作ることに楽しさを感じたのですが、昆虫も外骨格は、鉄を溶接したり曲げたりして加工すれば、それらしいものができると思ったんです」

鉄の板や棒を使ったカマドウマの制作は、それまでの彫刻/金工にはない充実感があった。内部には機械部品を盛り込むアイデアも、この時に生まれた。

内山さんが学生時代に制作したカマドウマ。当時はスチームパンクを意識した作風だったという。(写真提供:内山翔二郎さん、撮影:中村エリ) 内山さんが学生時代に制作したカマドウマ。当時はスチームパンクを意識した作風だったという。(写真提供:内山翔二郎さん、撮影:中村エリ)

これ以降、内山さんは昆虫をモチーフにした作品制作を中心に、アーティストとしてのキャリアを歩みはじめる。

作り手をつないだ「天国」——Techshopでの日々

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内山さんは日本大学大学院造形芸術専攻修了後、同大学の助手を勤めながら創作活動を続ける。そこで見たのは挫折する若者たちと厳しい現実だった。

アートが好きで入学した若者が題に追われ、教授らからの厳しい講評に自信を失っていく様子を内山さんは何度も目の当たりにした。

「アカデミックな世界にいると、評価を気にして作品をつくるようになったり、『アーティストになれるのは一握りの人間だ』とか『アートで飯は食えない』などのネガティブな言葉を何度も耳にしたりします。その結果、アートが好きで美大に入ったはずなのに卒業する頃にはアートから距離を置いた人生を歩む学生も珍しくありません。でも、自分はそのようなネガティブな言葉に疑問を抱いていました」

子どもの頃に影響を受けた星野さんとの交流もあり、内山さんは星野さんのアトリエにも出入りするようになっていた。その際に「芸術で食べていくことは可能だ。現に自分もできているんだから」という星野さんの力強い言葉と生き方が内山さんのロールモデルとなっていた。その思いをさらに強固にさせる出会いはアートの外にあった。

内山さんは日本大学で助手としての任期が終わった2016年の夏に、大学の先輩から新しい働き口を紹介された。それは大学ではなく、都心にできたばかりの大型ファブ施設「Techshop Tokyo」の求人だった。オープンしたばかりで技術スタッフを募集していたTechshopに、内山さんは技術スタッフとして採用される。

勤務時間中は会員に機材の使い方や制作のアドバイスやサポートを行い、仕事が終わると閉店まで残って自身の作品の制作に明け暮れた。同じ作り手として会員同士で作品を見せあったり会話したりする中で、内山さんは楽しそうにものづくりをするMakerたちに強く影響を受けたと振り返る。

「Techshopで過ごした日々は天国でしたね(笑)。大学助手の任期が切れて作品の制作環境もなくなったタイミングで入社したこともあり、ほぼ毎日通っていました。自分の作品の中にモーターを仕込んで動くようにしてもらったり、会員さんとのコラボレーションで制作したりすることもありました。大学では悩みや苦しみを抱えている人ばかり見ていましたが、Techshopにいる人たちは楽しそうにものづくりをしていて、ポジティブな空気がありました」

自由で前向きな発想でものづくりに取り組むMakerの中にはフリーランスで働く人も多かった。情熱を込めたものづくりで生計を立てる人たちが、アートの世界の外にたくさんいることを知り、内山さんは大きな刺激を受けた。

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「いろんな生き方があって良いんだなということを、Techshopから学びました。大学にいると、どうしても視野が狭くなってしまいがちですが、外の世界を知ることでいろんな生き方があっていいんだなと前向きに思えるようになりました」

世の中にないものを生み出すということは、孤独な作業でもある。Techshopは2020年2月末に閉店したが、内山さんは現在もTechshopの元会員との交流を続けている。

自分専用の工房から、新しい作品を生み出す

鉄鉱石の上にあしらった花の作品群。内山さんにとって花は虫同様に身近なモチーフだ。 鉄鉱石の上にあしらった花の作品群。内山さんにとって花は虫同様に身近なモチーフだ。

Techshop閉店後、内山さんは地元の相模原市に転居し、実家の空きスペースに自分専用の工房を立ち上げた。現在は多摩美術大学で非常勤嘱託職員として勤務する傍ら、新たな作品作りを進めている。さまざまな展示を経て、自身の作品のあり方についても考えに変化があったという。

「最近は自分の作品だけでなく、周囲の環境や空間と調和することで成立する作品を作りたいと考えるようになりました。彫刻という文脈だけでなく、さまざまな人の目に触れられるような開けた場所に展示できる作品作りを目指しています」

内山さんの実家の敷地内にある小屋をDIYでリフォームした工房。溶接もできるよう壁には防火対策も施している。 内山さんの実家の敷地内にある小屋をDIYでリフォームした工房。溶接もできるよう壁には防火対策も施している。

現在は虫や花以外のモチーフを模索している最中だという。内山さんに作品を制作する上で心がけていることを尋ねると、小さなことでも自分の気持ちを大事にしていると答えた。

「何かを作って両親に見せたら喜ばれたとか、そういった幼い頃の小さな思い出や喜びを忘れないことが大事だと思います。『誰かを思って作ったものを見せて喜ばれる』という要素のあるアートの素晴らしさをTechshopは教えてくれたと思います」

ものづくりの世界で自由闊達な空気を吸い込んだ内山さんが、メイカーズムーブメントの影響を受けて、今後どんな作品を生み出すのか。引き続き楽しみに待ちたい。

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