Cerevoが歩んだ道のはじまりとこれから
ネットと家電の未来を追求してきた、Cerevo岩佐氏の失敗と経験のいま
苦戦した資金繰りによって生まれた最初の製品「CEREVO CAM」
岩佐氏が起業した当時はハードウェアでスタートアップをやることに懐疑的な人も多く、ハードウェアがインターネットと連携することでのハードウェアとしての可能性や、ネットを介したコミュニケーションやクラウドファンディングのような考え方、企画や設計段階からユーザーにオープンしていくオープンイノベーションといった動きが起きるとはなかなか理解されなかった。岩佐氏は2007年12月に退職し起業したが、資金調達が完了したのは2009年1月。丸1年以上資金調達のために時間を費やしたという。また、ちょうどリーマンショックなど金融業界全体として大きな出来事があって資金繰りが難しく、結果として1年後にやっと製品作りに本格的に着手することができた。
そうした苦労を経てCerevoが最初に作った製品は、無線LAN経由でCerevoのネットサービス上に写真をアップロードできるデジタルカメラ「CEREVO CAM」だ。製品リリースは2009年12月。
「写真をきれいに撮って、保存し、共有するという行為が、これまでサービスや製品が独立していてバラバラでした。それを一元化できるハードウェアはユーザーにとっても便利で役立つものではないかと考えました」
写真共有がより日常的になるというアイデアから新しいデジタルカメラのあり方を模索。しかし、当時はデジタルカメラで撮影した写真をWi-Fi経由で自動転送するメモリカード「Eye-Fi」が発売されたり、FlickrやPicasaなどの写真共有サービスが世界中で一般化しつつある状況だった。また、FlickrのAPIを使って撮影した写真が自動でFlickrに保存されるデジタルカメラなど、CEREVO CAMの競合が一気に登場し始め製品の優位性を保つことが困難な状況だった。
「正直言って、開発の本格着手に時間がかかったのが原因です。本当は2008年に発売したかったんですが、投資家たちにデジタルカメラを開発するとプレゼンして回ったら、作れるの? 売れるの? と非難も多く資金調達に時間がかかってしまいました。結果として、Eye-Fiやその後のスマートフォンの登場などによって、手軽に写真を撮影して投稿や共有するという行為を先んじることができませんでした」
スマートフォンの登場は大きな転換点
初期ロット数千台程度を制作したCEREVO CAM。結果としてすべて売り切った。売り切ることができた理由の一つに、当時注目され始めたUstreamに世界で初めて対応したことをあげる。投資家経由でUstreamのCEOを紹介してもらい、Ustreamに動画の保存と共有ができたことは大きい。しかし、それもスマートフォンの動画配信系サービスのリプレースは難しいとの判断から、増産によるコストと販売を考えた結果、次の商品開発に力を注ぎ始めた。
「スマートフォンの登場はやはり大きく、どう差別化するか悩みました。そんなとき、簡単な配信はスマートフォンでできるけどやはり高画質やこだわりをもって配信したい人も多くいて、既存のビデオカメラとつなげて配信ができるものが欲しいという要望があったんです。それなら利用状況やニーズが違うしスマートフォンと共存できるかも、と思いできたのがLIVEBOXでした」
岩佐氏は、積極的にSNS上で製品開発のニーズなどをヒアリングし、そこから製品作りの議論をオープンにしていくことで、ユーザーニーズを開発に取り込んでいった。そこから生まれたアイデアとして、CEREVO CAMと性能はほぼ同じだが、汎用的なビデオカメラの映像入力とマイク音声入力、無線/有線LANでネットに接続しアウトプットする機能をもち、ボディも丈夫な素材に変更した「CEREVO LIVEBOX」を開発。実験機だったことから数百台程度の生産だったものの、それが評判を呼んだ。ちょうどUstreamが注目され、生中継やライブストリーミング配信による企画が増え始めた時でもあった。
「それまでのCEREVO CAMは値段が1万9800円と安価で、マス向けコンシューマー機でした。けど、機能はほぼ同じでもマニアックな人に向けて、ニーズに応えたシンプルな機能と堅牢なボディだけれども小ロット生産のため値段5万円近くと高めに設定したほうが売れたんです。小ロットでもニッチな層に具体的に製品作りをすることの可能性を感じたきっかけでもありました」