ソニー元エンジニア金子金次氏インタビュー
かつてソニーもスタートアップだった——当時を知るエンジニアが見たものづくり精神
業務用途のものづくりをベースに事業を展開
今から67年前(1949年)、既にテープレコーダーは米国で実用化されていたが、日本ではまだほとんど使われていない。
1950年に東通工が国内初のテープレコーダー「G型」を発表したが、テープレコーダーで何ができるのか普通の人は知らなかった。
当初は、6mm幅の紙に磁性体を塗布した紙テープをリールに巻いて使うものだった。最初は大きくて重かったが、技術を磨き小型化に成功すると、裁判所から放送局、映画会社といった放送業務用途から、学校の学習用でも使われ、国内に広がっていった。テープレコーダーは、なくてはならないものになったのだ。
その後、トランジスタに注目し、数々のドラマが生まれているのだが、当時人気が高かったのは、トランジスタラジオだけではない。外国製品一辺倒だったコンデンサーマイクでも国産初の「C-37Aコンデンサーマイクロフォン」を1958年に発売し、NHKや民放で活躍した。
日本製コンデンサーマイクは、音響を扱う人たちから雑音が多いとして見向きもされていなかった。当時は外国製のマイクが一番いいとされていたのだ。
そこで評判の良いドイツ製のマイクを参考に原型を作りはじめて実験を繰り返し、量産に成功したのだ。
製品の真ん中に「SONY」とロゴを入れたことも宣伝効果に一役買った。番組によってはロゴが隠されていることも珍しくはなかったのだが、マイクのデザインだけでソニーだと誰もが気付いていた。
音の分野で音質に拘ったマイクの開発には、創業者の井深大が初めて入社した冩眞化学研究所(PCL)、後の東宝でプロの世界における原音収音の重要性を認識、プロ用機材の信頼性について関心高く高品質にこだわったものづくりに力を入れたのだ、と金子氏は語る。