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ソニー元エンジニア金子金次氏インタビュー

かつてソニーもスタートアップだった——当時を知るエンジニアが見たものづくり精神

1964年の東京オリンピックは国産のVTRで

1953年ごろ、オーディオテープレコーダーの技術を応用し、映像も記録や再生ができるのではないかと各社研究をしていた。
のちのVTR(ビデオテープレコーダー)であるが、1957年にアメリカのAMPEXが最初の実用機を発表した。
翌1958年にはNHKや民放、映画会社がAMPEX製VTRを導入し始めたが、業界からは早期の国産化を強く求められていたという。

——放送業界から国産化を求められた理由は?

金子:1964年東京オリンピックの開催を目前にした日本は、製品も国産化しようというムードが高まっていました。
海外から購入すると費用も高いし、導入にも時間がかかる。放送業界も国産の製品で世界に放送したかったのです。国内メーカー4社とNHKでVTR調査会を設けて国産化を目指しました。AMPEX製VTRの共同研究が始まったのですが、国内メーカーも経験が乏しく、多くの課題が待ち受けていました。問題をひとつひとつ解決し、開始からたった2カ月後の1958年には国産初のソニー製のVTRが誕生しました。しかし、ノイズが多いなど画質は悪く、とても満足のいくような製品ではありませんでした。

それからもVTRの研究は続けて、1963年に世界初のトランジスタ式放送/業務用小型白黒VTR「PV-100型」を発表しました。
2年後の1965年にはPV-100型で培った技術を応用した「CV-2000型」(世界初のオールトランジスタ式家庭用VTR)を発売しました。CV-2000型は、NHKや民放など放送業界の収録や試写用で数多く使われるようになっていき、テープレコーダー同様に、学校放送やさまざまな生産現場でも使われ大きくソニーの売上に貢献しました。
1976年には、テープの幅が1インチ、1.5ヘッド方式のヘリカルスキャン方式VTRの「BVH-1000」を発売すると、ドラマや音楽番組の収録、編集、再生で活躍し、数千台を販売しました。

放送業界で大活躍したBVH-1000。当時の販売価格は780万円。 放送業界で大活躍したBVH-1000。当時の販売価格は780万円。

1982年にはカメラ一体型VTR“ベータカム”「BVW-1」を発表。放送業務用システムは世界中の放送局に普及し、ソニーは放送機器メーカーとしての基盤を固めていった。放送局対応の放送業務システムは大きなビジネスに成長し、プロ機材用の製品は会社の大きな柱となっていったのだ。

テープレコーダー、トランジスタラジオでコンシューマー向けに小型化や省エネ化した製品を開発しているイメージが強く残るが、創業当初はBtoBをメインとした放送業務用システムで売上を立て成長を遂げてきたのである。

ENG(エレクトロニックニュースギャザリング:フィルムを使わない映像素材収録システム)のベースになった「BVP-300」。3年間に及ぶ開発研究により世界に誇る高画質のカメラが誕生した。 ENG(エレクトロニックニュースギャザリング:フィルムを使わない映像素材収録システム)のベースになった「BVP-300」。3年間に及ぶ開発研究により世界に誇る高画質のカメラが誕生した。

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