素材の話を聞きに行こう
「フィラメント」はどこから来てどこへ行くの?——3Dプリント用プラスチックの歴史と付き合い方
ものづくり愛好家の皆さん、いかがお過ごしですか?
気軽に行けるファブ施設が増え、手の届く価格のデジタル工作機材も登場しはじめており、ものづくりを楽しむための環境はどんどん身近になってきていますよね。
でも、場所と機材さえあれば何でも作れるかと言えば、決してそんなことはありません。ものづくりの現場には必ず、「素材」があるハズです!
素材なしで何かを作ることはできないし、素材からアイデアが広がっていくこともあります。新企画「素材の話を聞きに行こう」では、普段当たり前のように使っている素材にフォーカスし、専門家にお話を伺いながら、その特性や使い道についてじっくり掘り下げていきます。
第1回のテーマは、熱溶解積層方式3Dプリンターに用いられる素材「フィラメント」。なかでも、今回は特にポピュラーな素材のひとつである「ABS」に着目しながら、フィラメント製造の当事者にお話を聞いてきました。
「世の中にはまだ良い素材がない」——フィラメントを作り始めたきっかけ
というわけで、神奈川県大和市にあるキョーラクの製品開発部にやってきました。
キョーラクは世界初の形状記憶フィラメント「SMP55」などを販売する自社ブランド「フィラメント工房」を展開しており、ベーシックなものから変わり種まで幅広いフィラメントを製造しています。今回は、開発を担当する湯浅亮平さんにお話を伺いました。
淺野「よろしくおねがいします! 今日はフィラメントについていろいろ伺いたいのですが、そもそもキョーラクがフィラメントを販売するようになったきっかけって何なんでしょう?」
湯浅「もともとキョーラクは70年にわたってプラスチック成型を手掛けてきたメーカーです。プラスチックに関わることなら大体何でもやっています。特に、作りたいモノの条件に合わせて素材を調合することを得意としています」
湯浅「社内に3Dプリンターが導入されたのは、3Dプリンターブーム最盛期の2014年。当時は素材の研究というよりも、試作開発が目的でした。でも、実際に利用してみると、あまりフィラメントの質が良くないことに気が付いたんです。同じ会社から同じ商品を仕入れているのに、質がバラバラだったりする。こんな状況ではちゃんとモノを作ることができないと思い、『そもそもなぜこんな素材なんだろう?』『うちの技術でも素材を作れるのではないか?』という発想に至りました。そこから、手の届きやすい価格で、安定して高品質のフィラメントを提供するべく開発がスタートしました」
ABSは「なんとなくつながっている」プラスチック?
淺野「キョーラクが『フィラメント工房』を立ち上げて最初に販売したのがABSフィラメントですよね。ほかにもプラスチックはたくさんあると思うのですが、なぜABSやPLAが3Dプリントの素材として使われることが多いのでしょうか?」
湯浅「プラスチックはその特性によって何種類かに分類されます。『結晶性』と呼ばれる性質を持つプラスチックは、分子の塊が結晶として固まっている状態と、それが溶けた状態が明確に分かれています。『融点』という温度を超えると、結晶がほどけたような状態になるのですが、これが冷めてまた結晶になると、隙間がギュッと詰まって全体の大きさが小さくなるんですね。これが『収縮』と呼ばれる性質です。
一方、ABSとPLAは『非晶性』という性質を持っています。温度が変わっても結晶性のプラスチックほど明確な状態の違いは生まれず、ずっと『なんとなくつながっている』ような状態が保たれています。このため、結晶性の素材に比べて冷えたときの構造の変化が少なく、収縮率がとても小さいんです」
淺野「3Dプリンターで使うABSはすぐ反ってしまう感覚がありましたが、プラスチックの中では収縮率が少ないほうなんですね……!」
湯浅「収縮率が高い素材であっても、溶かした素材を型に流し込んで一気に成型する方式であれば、あらかじめ収縮率を計算に入れて型を設計することで対応できます。しかし、熱溶解積層方式の3Dプリントでは、出力した直後から冷却されていくので、収縮率が大きい素材だと変形が激しく安定して出力することができません。そこで、非晶性の特性を持ち、収縮率の小さいABSとPLAがフィラメントの素材として選ばれたのだと思います」
湯浅「また、柔らかい状態でいる温度の幅が広いことも要因の一つかもしれません。家庭では工場ほど厳密な温度管理ができないので、柔らかくなって押し出しできる温度の範囲が広いことも良い条件ですね」
淺野「3Dプリントならではの造形方法から、利用できるプラスチックが決まっていたのですね。温度管理が難しい環境でも使える、DIY的なものづくりと相性の良い素材だったんだなぁ」
ABSとPLAを比較しよう
淺野「では、同じ非晶性という性質を持つABSとPLAの差はどこにあるのでしょうか?」
湯浅「ABSの正式名称は『アクリロニトリル・ブタジエン・スチレン(Acrylonitrile Butadiene Styrene)』。アクリロニトリルとブタジエンとスチレンを合成した素材です。そのまんまですが(笑)。それぞれの欠点を補うように合成され、アクリルの耐熱性、ブタジエンの耐衝撃性、スチレンの成型しやすさを兼ね備えた非常に優秀な素材なんですね。目立った欠点がなく扱いやすため、家電製品の筐体などに幅広く利用されています。強いて欠点を挙げるとすれば、加熱すると石油由来の匂いがしてしまうことでしょうか」
淺野「炊飯器やエアコンのボディにも使われている、かなり身近な素材なんですね!」
湯浅「もう一方のPLAの正式名称は、『ポリ乳酸(Poly-Lactic Acid)』。ABSに比べると耐衝撃性が弱く、経年劣化も起きやすいので、射出成型であえてPLAを使うようなシチュエーションはあまり多くありません。ただ、ABSに比べても熱収縮率の小ささは際立っているので、3Dプリンターでの成型とは非常に相性が良いでしょうね。ABSよりも融点が低く、収縮を抑えるためにヒートベッドを利用する必要もないので、利用する電力が少なくて済むのもメリットと言えるかもしれません」
淺野「激しく動かしたりしないものであれば、PLAでの造形が手軽なんですね。消費電力が少なくて家計にも優しいのは、実は大きなメリットかも(笑)」