九州工業大学 e-carインタビュー
飲み会サークルからラリー優勝チームへ——九工大「e-car」の軌跡
そうして部員も少しずつ増え、車検を通すという目標が現実味を帯びてきたが、限られた予算の中でやりくりするのは大変だ。何より自動車改造に必要なものはすべて自分たちでそろえる必要があった。
「自分たちで自由に使える工具も機材も無くて、そういったものを予算の中で買い足す必要もありました。大学からの予算にも上限があり、申請を出しても満額が出ない場合もあるので、予算がショートして活動が止まった期間もありました」(岩崎さん)
予算や環境面の制約はありながらも、福工大や陸運局に通い、車検を通すための開発を進めていった。
「福工大が車検を通した当時から内容も変わっていて、今の車検だったら(福工大は)通らないかもしれないという話もあり、福岡市の陸運局まで通いながら開発していました」(岩崎さん)
電気自動車を作る大学生チームの熱意に陸運局の担当者も感心し、親切に対応してもらえたのが励みになったという。
「その当時はまだ電気自動車の車検も今ほど確立していなくて、年々厳しくなってきている印象がありました。加えて、僕たちの場合はコンバートEVなので、改造申請を出して安全性を証明する必要がありました。それが通らないと車検は受けられません。感電対策も大丈夫ですよとか、入れ替えたモーターの安全性能も証明したり、構造計算書を用意したり大変でした」(岩崎さん)
EVラリー参戦直前でようやく通った車検
そうして少しずつ着実に前進していく中で新しい目標が生まれた。四国EVラリーへの参戦だ。
四国EVラリーは1998年から毎年8月に開催され、企業や社会人チーム、大学などの学生チームが四国を舞台に走行距離やコース内にあるポイントを競う。国内では唯一の公道を走行する電気自動車だけのラリーでもある。
しかし、レースまであと6カ月という状況でも車検に通せる状況ではなく、毎日夜遅くまでキャンパスに残って作業に没頭した。その頃には地元自治体や商工会議所の支援もあり、車検や改造証明に必要なものの準備やラリーに向けた車両の軽量化を猛スピードで進めていった。
そうした努力の結果、なんとか車検に通りレースに参戦できるようになったのは、レース本番の3日前だった。
「もう本当にギリギリでした。個人的にはラリーで優勝した時よりも車検に通ったほうが嬉しくて、今でも思い出すと鳥肌が立つぐらい。アカデミックな世界にいると、その外にある社会との間にある高い壁と向き合わなくてはならない感覚があって、一般の研究であれば大学と社会の間にさまざまな企業や自治体があるけど、e-carは大学で作ったものが直接『車検』という社会に出る、これまで見たことのない世界だったんですね」(パナートさん)