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MUDSNAIL 藤本有輝インタビュー

シューズからクルマまで——3Dテクノロジーでコンセプトを形にするMUDSNAIL藤本有輝とは

原宿というカルチャーショック

ファッションやグラフィックデザインが好きだった藤本さんは、高等専門学校のデザイン工学科へ進む。ところがそこは、車や家電メーカーの工業デザイナーを輩出している科だった。入学早々、ここでは自分のやりたいことは学べないということに気づかされる。それから原宿という町に出会い、ファッションの世界にのめり込んでいった。

藤本 初めて原宿へ行ったとき、それまで自分はおしゃれな方だと思っていたんですけど「これはまずい」と思ったんですよ。undercover(アンダーカバー)、WTAPS(ダブルタップス)、Supreme(シュプリーム)といったブランドに出会って、それから一気にファッションにのめり込んで行きました。限定のスタジャンが出るとなると、前日の夜から並んで買ったり。「明日買えなかったら俺死のうかな」とか本気で思っていましたから。その頃は、ほとんど原宿の路上で生活していました。

限定品を買うために徹夜で並びに行くと、そこにはバイヤーやファッションフリークたちがいて、本名も知らない人たちとつるみ、「居酒屋の常連みたいな感じ」でコミュニティを形成していった。そして高校2年生のときに古着店でアルバイトを始めた。

藤本 かばんに私服を詰め込んで学校に行って、放課後は古着屋に直行して。当時は洋服のことしか考えていなかった。テクノロジーのテの字もなかったですね。

MUDSNAIL発足。模索していた木こりごっこ時代

高等専門学校を卒業した藤本さんは、自分でブランドを作りたいと思い始める。

藤本 当時、洋服だけではなく、ショップの内装や家具まで手がけているブランドがあったんですよ。僕はそういうのがかっこいいなと思っていて、何かそういったバックグラウンドを持ったブランドを作りたいと思っていたんです。
それで中学の同級生や古着屋の仲間たちに声をかけてMUDSNAILを発足して、とりあえず木を切るところから始めました。そのとき、大工さんに弟子入りしようという本気さはなかったんですよね。まずはポーズをとろうと思った。それが今の仕事の発端です。

立ち上げメンバーの1人、星桂樹さんは中学の同級生。MUDSNAILでは3次元CADを担当している。 立ち上げメンバーの1人、星桂樹さんは中学の同級生。MUDSNAILでは3次元CADを担当している。

それから初期のメンバーたちは、とんでもないものを作り始める。

藤本 最初に木を切る練習から始めて、什器を作ったりしていて。それをやっているうちに、だんだん電動工具が欲しくなってきたんです。それで切削機が欲しいと思ってフライス盤や卓上旋盤を調べていたら、「オートマで3Dの切削加工ができるCNCミリングマシンというものがあるらしい」となって。それで、皆で調べ倒して作ったんですよ。

——CNCそのものをですか?

藤本 はい。自作でも300万円位かかったんですけど。ところが、今度は「CNCってCADという3次元モデリングソフトがないと動かないらしい」という話になった。それが思った以上に高くて。信じられないですよ、機械より高いなんて。
それまでIllustratorぐらいしか知らなかったですから。それで比較的手頃なRhinocerosというソフトを買ったんですけど、まったく動かせなくて、メンバーの星君に1年間スクールに通ってもらいました。それからCNCが何とか完成してやっと動かせるようになったのですが、最初は切削条件もわからないし、買ったばかりのミルが何本も折れて……そこからですよね、3次元の世界に足を踏み入れたのは。

自作のCNCマシンは、今も作業ルームに置かれている。(ほとんど見えないが観葉植物の後ろに置かれているのがCNC)このCNCは5軸で複雑な形状でも切削できる。 自作のCNCマシンは、今も作業ルームに置かれている。(ほとんど見えないが観葉植物の後ろに置かれているのがCNC)このCNCは5軸で複雑な形状でも切削できる。
現在の従業員5人は、ほとんどが古着屋で知り合った仲間たち。設立当初、古着店を辞めてメンバーに加わった小林なみさんは、当時の活動を「木こりごっこ」と呼ぶ。 現在の従業員5人は、ほとんどが古着屋で知り合った仲間たち。設立当初、古着店を辞めてメンバーに加わった小林なみさんは、当時の活動を「木こりごっこ」と呼ぶ。

マシンは完成したが、その後も模索は続く。仕事でCNCを使うチャンスはなかなか訪れず、メンバーはアルバイトをしながら活動を続けていた。

藤本 当時は仕事らしい仕事なんてものはなかったんですけど、自分たちでデザインして「これだ」ってなったものを「今週中に10個作る」とかノルマを決めて、作り続けていたんです。我々はそれを「在庫」と呼んでいたんですけど(笑)。

客が9人の展示会

ファッションとのつながりができたのは、それから1年以上後のことだった。ファッションブランドを立ち上げた同級生が、展示会の内装を施工してくれないかと相談を持ちかけてきたのだ。それからメンバーは、全力で施工に打ち込む。

徹夜続きの1カ月を過ごし、藤本さんが貯めてきた事業資金300万円はすべて使い果たした。そして、若手デザイナーの展示会としては、非常に大がかりな会場が完成した。会場となったスタジオ内には、2階立てのウォークインクローゼットを設置。中には木のらせん階段を作り、1階と2階を行き来できるようにした。

施工を手がけた会場(写真提供:MUDSNAIL) 施工を手がけた会場(写真提供:MUDSNAIL)
手すりや姿見などは、積層した木の板を削って形成していった。らせん階段の柱はらせん状に切削されている。(写真提供:MUDSNAIL) 手すりや姿見などは、積層した木の板を削って形成していった。らせん階段の柱はらせん状に切削されている。(写真提供:MUDSNAIL)

藤本 会場のオファーが来たとき、僕はなぜか「あ、ここからだな」と思ったんですよね。どう考えてもそんなわけなかったんですけど。お客さんは9人ぐらいしか来なかったし、資金はほぼ無くなったし。ただ、その9人の中にkeisuke kanda(※3)の神田恵介さんと、ANREALAGEの森永邦彦さんがいらっしゃったんです。
ブランドを立ち上げた友人がANREALAGEでインターンをやっていたので。それからその年の忘年会に呼んでいただいて、そこで初めてお仕事をもらったんですよ。そこからやっと表舞台に出た感じです。発足から2年ぐらい経っていました。

※3 keisuke kanda:デザイナーの神田恵介が主宰する服飾レーベル。コンセプトは「好きな人に夢で逢えた時、好きな人が着てた服。大好きな人があなたを想いうかべた時、あなたが着てた服」。甘くも存在感のある服を作り続けている。


写真提供:keisuke kanda 写真提供:keisuke kanda

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