アジアのMakers by 高須正和
一緒に生きて食べ、踊って学ぶ——砂漠からアントレプレナーシップ ヴィガンアシュラム
インドならではのイノベーション
同じイノベーションを支援する機関と比べて考えると、サンフランシスコでアイデアを集め、深センでプロトタイピングする、世界一のハードウェアアクセラレータであるHAXが支援するプロジェクトを選ぶ基準は、「クオリティまたはコストが、これまでより10倍すごいにも関わらず、まだ世の中に出ていない」ものだ。大学の研究室などに多くあるそうしたアイデアを、深センの速度とパワーで3ヶ月で製品化する。それだけの速度とクオリティが見込めないと世界トップではいられない。
ヴィガンアシュラムがやっているものはもっと小さな改善で、アイデアも大学の研究室などではありふれたものだ。現実化は最先端のプロトタイピング環境でなく、何年にも渡ってここで実際に人が生活する中で試されてから社会実装される。でも、数億の人が同じ問題を抱えている。
ここだからできる研究開発
村には3Dプリンタやレーザーカッター、プラズマカッターなどを備えた工作室もあれば、遠心分離機やさまざまな検査機を備えた検査ラボもある。最新技術に背を向けているわけでも、近代文明を否定しているコミューンでもない。
その文明の力は農村の問題解決のために集中している。家畜を買うのも作物を育てるのも研究の一部で、「一緒に生きて食べ、踊らないと学んだことにはならない」とマスターのDr.Yogeshは言う。外部からここに来て学ぶプログラムは通常1年で、それはすべての季節を体験するためだ。
インドの農村が世界とつながる
ヴィガンアシュラムの運営は、教育プログラムを提供しているインドの工科大(Indian Institute of Education)によって大部分が賄われている。たいていのものを自給自足するヴィガンアシュラムでは、運営には大きな費用がかからない。ここで学ぶ学生のための奨学金など、予算のかかる幾つかのプログラムには個別のスポンサーがついている。
ここで行われる研究をもとに、たとえばグリーンハウスを大々的に売り出すなどのプロジェクトが立ち上がるときは、卒業生が起業して出資を募る。模範的なビジネスモデルの研究所といえる。
1983年、初代のマスターであるDr.Kalbagはアメリカで教育を受けた後、「多くのインドの村と共通する課題を抱える、普通の場所」を探して、ここパバルにヴィガンアシュラムを設立した。すでにオープンして20年あまり、インド政府他多くからのトロフィーがヴィガンアシュラムの一室を飾る。2002年、ここはアメリカの外で初めてのFablabとなり、2009年の第5回世界Fablab会議の会場ともなった。Fablabとしての名前はFablab 0(ゼロ)。このゼロは「常に始まりの場所である」ことを示している。ゼロでなくなる道が見えた卒業生は起業家や教師として巣立っていく。MITとインドの農村がメイカームーブメントとしてつながった。