ZMP谷口社長に聞く
「自分のやりたいことをやっているうちにRobotCarに行き着いた」
現在、クルマの電化・コンピュータ化が急速に進んでいるが、その先にあるのがクルマの自動運転・自動制御だ。数多くの自動車メーカーがひしめく日本にあって、その自動制御技術開発において、大メーカーから大学など研究施設までがその先進性を注目するベンチャー企業がゼットエムピー(ZMP)だ。社長の谷口恒氏は、アンチロックブレーキの開発エンジニアから、商社の営業、インターネットコンテンツのマネジメント会社を起業したのち、そこから家庭用ロボットの開発を目指してZMPを興したという経歴の持ち主だ。その谷口氏に、自動運転開発プラットフォーム「RoboCar」開発に至る背景や、これからのクルマについてのビジョンを伺った。(撮影:水戸秀一)
1964年生まれ。群馬大学工学部卒業後、制御機器メーカーでエンジニアとしてブレーキシステム開発に携わる。その後、商社に移ってレーダーの営業職に就く。友人らとインターネットコンテンツのマネジメント会社を起業したのち、2001年に科学技術振興機構(JST)発のベンチャー企業としてZMPを創業した。2004年に家庭向けロボットを開発。2007年からロボット開発で培った自動制御技術を自動車に展開。2009年に実車の10分の1サイズの技術開発用プラットフォーム「RoboCar1/10」、2012年にクルマの各種データをインターネット上のクラウドに保存して走行中にリアルタイムにクルマの監視・分析ができる「RoboCar HV」を開発した。2013年5月には、車載制御系システムとスマートフォンを接続し、クルマからの情報を使ったスマホアプリが開発できる「カートモ® SDK」を発表した。
1. エンジニアから営業、ネット企業、そしてロボット企業設立
——谷口社長はエンジニアとしてスタートされた後、ZMPで自動制御車の研究を始められるまで、営業として転職されたり、インターネットコンテンツ企業を興されたりと、実にさまざまな経験をなさっています。こうした経歴はいまのご自身にどのように繋がっているのでしょうか。
「大学時代にはクルマ好きで、自分にとってクルマが青春の一部でした。卒業後は自動車関連会社に就職しまして、横須賀の事業所で当時日本で導入され始めたばかりの自動車のアンチロックブレーキの開発エンジニアになりました。勤めていた会社がドイツのロバート・ボッシュと合弁でアンチロックブレーキの会社を作ったのですが、その立ち上げに一社員として関わり、ボッシュのエンジニアと一緒に研究開発も行ないました。
エンジニアとして勤めていくなかで、自分は技術を極めるよりもものごとをまとめたりプロデュースしたりする方に適性があると感じ始めました。新卒エンジニアの研修リーダーを任されたり、当時地味だった会社の作業服を「もっと元気の出るものにしましょうよ」と役員に提案して、新作業服の企画をやらせてもらったりしたことがきっかけです。一方でドイツ人エンジニアと仕事していくうちに、海外への興味もどんどん湧いてきて海外の技術を日本に紹介して売ろうと考え、商社に転職しました。
この転職で良かったのはエンジニアでは経験できない、人と接する能力や営業力がついたことです。商品の海外製レーダーを買ってもらうために製品の良さを見つけ出したり、お客さんが『これはだめだ』と言っても、あの手この手でアイデアを出して『いやこれには使えないけどこうは使える』と提案したりしました。それがいい勉強になりました。
そのうちにインターネットがはやり始め、商社の同僚と広告代理店にいた友人と一緒にコンテンツを売る企業を興しました。商社の経験から堅実経営で少しずつ業績が伸び、特許も申請して外部から資金調達をしようとしたところでネットバブルがはじけてしまいました。これからどうしようというその時に、取引先の方が文科省傘下のロボット研究機関に移って、研究開発の管理責任者になられたというので、見に行ったんです。
ネットのようにアメリカがビジネスモデルを作ったものではなく、何か日本から生み出したいという気持ちがあり、ロボットを見たときに「これだ」と思いました。そこで2001年に科学技術振興機構と契約して、ZMPを起業しました。まあ、自分の興味のあるやりたいことをやっているうちにロボットに行き着いたということですね」