アジアのMakers by 高須正和
失敗を恐れるシンガポール人気質を変えるSTEM教育
サイエンスセンターが生み出す新しい教育
一方で、徹底した能力による選別とそこから選ばれる優秀なリーダー達の存在は、リーダー層への深い信頼を生み、「置いていかれるのも嫌がるが、自分からはチャレンジしない」キアスー気質を生んだ。情報化社会が到来し、作業内容が決まった仕事がどんどんAIやロボットに置き換えられていく現代社会の中、シンガポールはどの階層からもイノベーションが発生するような、新しい段階が求められている。
シンガポールの体験型科学館、サイエンスセンターシンガポールは、STEM.INCという300人もの職員を抱える新しい組織を作り、この課題に取り組むことになった。
エリート層だけでなく、シンガポールのどの学校からも特徴と多様性を持った人々が育つような教育プログラムだ。
シンガポールサイエンスセンターの館長T.メンリム博士(以下メンリム)は、「キアスーなシンガポール人はもう古いものだ」として、以下のようにインタビューに答えた。
メンリム「STEM教育(Science、Technology、Engineer、Mathematicsの頭文字を取ってSTEMと呼ばれる、課題発見型の理数系教育)はアメリカから始まった世界的な流れだけど、シンガポールのプログラムはより効果的にするためにゼロから考えた、実践的なものだ。海外のプログラムとも、シンガポールのそれまでの教育システムとも違う。
ゴールは2つ。
- すべての学生を、科学を好きにすること
- STEMはあくまで教育で、シンガポールの国力を向上する成果がきちんと出るものであること
すべての学生を、科学を好きにすること
メンリム「STEMは、問題について自分で考えて解決策を用意するためのものだ。正解と突き合わせるテストは行わない。
2017年の時点でプログラムの対象になっている62の中学校に、トップクラスの学校は含まれていない。子供たちは『自分たちがあまり優秀でない』ことを知っていて、だから勉強は好きではなかった。
STEMはテストを行わない。作ったものをお互い見せあい、よくできたものを表彰したりもするが、それは全員に付く順位ではない。
学校そのものにも順位が付かない。それまでシンガポールの学校はどの学校も同じテストのもと、いつも順位を気にしていたが、STEMはシンガポールの産業界と話しあって今後シンガポールで必要になる12の技術カテゴリを決め、学校ごとに割り振った。どの学校にも専門の役割があって、社会から必要とされるものだ。
この技術のどれかを身につけ、問題解決ができるようになれば、間違いなく社会から必要とされて評価される。それは自信につながる。これまでのように上から順番はつかない。どのプログラムでも1年目は学校で子どもたちが行い、2年目からは実際の企業でのインターンなどが行われ、3年目は実社会でやっていることが学習の中心になる。成績の良さとインターンでの評価は必ずしも一致しない。よりさまざまな形のタレントが自信を持てるようになる」
STEMはあくまで教育で、成果がきちんと出るものであること
メンリム「STEM.INCは教育プログラムを作り、先生をトレーニングするための組織だ。先生を教えるトレーナーは、それぞれの業界からの実際のエンジニア出身者をトレーナーとして選んでいる。
シンガポールは日本と違い、ある程度ストーリーをもって転職を繰り返しているほうが市場価値が上がる。
エンジニアの経験に加えてトレーナーとしての経験を積みたい人たちが3年間のプログラムに応募してくれている。まずエンジニアでなければ、学生に「エンジニアはいい仕事だ。エンジニアになろう!」と、自信を持って言えないだろう?
もちろんSTEMは教育だ。たとえば分野のひとつ、バイオメディカルをやろうとして、科目で生体センサーを作るとすると、電子回路の作り方と人体の仕組み両方を学ぶことになる。
これまでの教育同様の知識は身に付くし、関連性のある分野で手を動かしながら学ぶことで、これまで以上に学べるのではないか。STEMによりこれまでより学習が楽しくなり、より多くのエネルギーを学習に使えるようにすることが目的で、テストや競争をなくしたことで単純に得られるものが少なくなっては意味がない。
その意味で、STEMにArtを付加してSTEAMと呼び、アートとサイエンスを分けてしまい、数学やエンジニアリングからさらに遠ざけてしまう呼び方はちょっと危惧している。もちろんSTEMでも発想やアイデアはとても重要だ。12カテゴリの中のいくつか、たとえばゲームなどでは美的なセンスも必要だ。そうしたアイデアやセンスは楽しみながらいろいろと試す試行錯誤の中から生まれる。その意味でアートはサイエンスの向こう側にあるものであり、一体だと思っている。
シンガポール人は官僚になりたがる人が多く、世界的にはアントレプレナーを生み出しにくい。自分でビジネスを作る、起業するマインドをもつ人たちがここから出てくることに期待している。STEM.INCに、わざわざ会社名を表す“INC”を付けたのはそういう期待がある」