メイカースペースの作り方
地方でファブ施設は成立するのか——ファブラボ仙台が証明する可能性
メイカースペース(ファブ施設)に向かい風が吹いている。fabcrossが2019年12月に公開した定点調査によると、日本全国の施設数は2018年と比べ15%減少している。利用者の伸び悩みから機材利用や場所貸しだけでは採算が取れず、規模の小さい施設を中心に閉鎖が増えている。
つい先日もTechShop Tokyoが閉店を発表するなど、状況はさらに厳しさを増している。しかし、メイカースペースの中には工夫を凝らし、地域や産業に根付いたコミュニティを形成しているところも少なくない。その一つが「ファブラボ仙台 FLAT」(以下、ファブラボ仙台)だ。2013年にオープンし、東北のMakerコミュニティのハブとして機能している。2020年1月には展示/体験イベント「Sendai Micro Maker Faire」(主催:オライリー・ジャパン)の開催にも協力している。
運営者の小野寺志乃氏と、大網拓真氏は「これまで決して平坦な道を歩んだわけではなかった」と語る。その歩みを伺った。
(取材・文・撮影:越智岳人)
新卒で最初の仕事がファブラボ
東北の玄関口、仙台駅から歩いて5分のビルにファブラボ仙台はある。施設内には、どのファブラボにも用意されている3Dプリンターやレーザーカッターなどの機材があり、室内の至る所にファブラボ仙台の会員や運営メンバーが手掛けた作品が展示されている。
運営するのはFLAT。ファブラボ仙台の運営のために立ち上げられた一般社団法人で、小野寺氏が代表理事、大網氏もメンバーとして日々の運営に携わっている。
ファブラボ仙台は、仙台市経済局の事業として2013年に現在の場所にオープンした。準備段階の2012年から2014年までは、福岡に拠点を置くクリエイティブチーム「anno lab」が運営を受託していた。小野寺氏と大網氏は当初anno labとしてファブラボ仙台の運営に携わっていた。
「もともと、anno labの社員が仙台に住んでいたことがあり、その縁で仙台市から運営を受託したのが始まりです。私と大網は2014年からファブラボの運営にジョインしました」(小野寺氏)
両氏とも大学院を修了して、新卒として入社したのがanno labであり、最初の仕事がファブラボ仙台の運営だった。最初の仕事がメイカースペースの運営というだけでも、珍しいケースだが、一般の新卒社員では経験しないような出来事はすぐにやってくる。運営母体の変更に伴う独立だ。
2012〜2014年までの運営費用は仙台市が全額負担していたが、将来的には民間での独自運営に切り替えるという計画が当初からあった。福岡に拠点を置くanno labは2015年3月に受託を満了する。しかし、このままでは終わらせたくないと思った小野寺氏と大網氏が仙台に残り、運営するためのFLATを2015年に立ち上げた。そして現在に至っている。
こうして小野寺氏と大網氏はファブラボの運営業務と並行して、独立採算の道を模索することになる。その際に2人をサポートしたのが、当初の事業主体だった仙台市経済局だったという。
「当時の担当の方の尽力がなかったら、ファブラボ仙台は続いていませんでした。市の職員にも関わらず、ファブラボのことをすごく勉強されて、残すためにできる限りの努力をしていただきました」(小野寺氏)
運営予算も一気にカットするのではなく、段階を踏んで減額するよう調整し、無理なく民間への移管ができるようにしたほか、機材の大半と、借りていたテナントも引き続き利用できた。これによって、メイカースペースの立ち上げに係る初期投資を大幅に抑えることができた。
メイカースペースの中心にいるのは機械ではなく人
しかし初期投資を抑えたとしても、継続していくためには安定した収益が必要だ。仙台市のバックアップ期間中に培ったノウハウや経験が、大きな資産となる。ファブラボ仙台は立ち上げ当初から民間運営への切り替えを見据えて、外部からの業務を受託していた。
「最初から機材貸しで稼げるとは思っていませんでした。スタッフ自身が個々に仕事を持っていないと続かないということは初期から話していました」(大網氏)
2015年からは週5日オープンしていたファブラボを週3日に縮小、その他の日はクローズデーとしてファブラボ以外の事業に専念した。仙台市経済局からの紹介で地元中小企業から商品開発やプロダクトデザイン、試作開発などの受託や、工作機械の導入コンサルティング、大学での非常勤講師などをこなすことによって収益基盤を確保。ファブラボの運営から培ったネットワークや知見に、2人のスキルを生かすことで運営を安定化させた。
こうした案件を確保できたのは自治体のネットワークも大きいが、ファブラボのメンバーのスキルを積極的に発信してきたことが功を奏したと2人は振り返る。
「仙台にいるCGデザイナーさんが手作業でお面を作っていて、レーザーカッターでの制作を勧めたことから、いろんなお面を作るようになって。それを見た他の人からの依頼で、ものすごく大きなお面を作ったりしていたのがきっかけになって、東北の奇祭をモチーフにした映像作品で使うお面の製作に協力したりもしました」(大網氏)
「面白そう」というところから始まったファブラボでの製作が仕事に発展し、それが外に発信されていくことで新たな仕事につながるという好循環に結びついたのが、「BAKERU」のケースだったという。また、両氏とも地元の大学で非常勤講師として教鞭を執っている。その講義内容をWebに公開することで、新たなワークショップや講義の相談が来るきっかけとなった。
ファブラボとしての運営日が営業/販促活動になっている側面もあるという。
「私たちは外に出て営業活動をしていないので、ファブラボの中にあるものが自分たちのポートフォリオになっているし、自分たちができることを来る人に伝えている面がある。直接的な利益は生まないけれど、決して無関係ではない」(大網氏)
こうしてオンライン、オフラインを問わず積極的に外部に発信しつづけたことで、運営基盤となる収益を確保し、ファブラボの運営からも間接的に仕事がやってくるという好循環を持続する仕組みが確立した。
「立ち上げにかかる費用が抑えられたのは確かですが、行政が運営する場合には収益が上げられないといった制約が発生することもあるので、行政の支援があることは必ずしもベストではありません」(小野寺氏)
重要なのは、自分たちができることを伝え、ものと技術を通じたコミュニケーションを絶やさないことだと両氏は指摘する。
上から目線のおじさんを黙らせたスツール
情報発信と並行して重視したのは、ファブラボに来るユーザーの多様性を担保することだ。メイカースペースを維持していくためには、さまざまな属性の人たちとの接点を持ち、その中から新たなビジネスを開拓することが必要不可欠だ。
ファブラボに限らず、コミュニティには特定の層だけしか集まらなかったり、その中から声の大きな人がその場の空気を形成し、そこに流されてしまったりして、必要な新陳代謝が機能しなくなるケースがある。そうした多様性を可視化する仕掛けとして、ユーザーの作品の展示は重要だと小野寺氏は力説する。
「基板むき出しのものから、クラフトのようなポップなものまで展示しています。自分の引き出しにはないものを見て、会話が生まれたり交流につながったり」(小野寺氏)
ここで何ができるか、どんな人がいるかを知る上で、制作物が持つ情報量は大きく強く印象に残る。
また多様性を維持する上で、男性中心のコミュニティにならないようにケアすることも大事だ。ここでも作品は雄弁に見るものに語りかけるエピソードがある。
慶應義塾大学で山中俊治氏(現在は東京大学生産技術研究所教授)からプロダクトデザインを学び、数少ない女性のファブ施設運営者である小野寺氏は、ファブラボ仙台に入った当初、男性の来訪者からマンスプレイニング※を受けることも少なくなかった。
「ファブラボ仙台に入った2014年頃は3Dプリンターも今ほど知られていなくて、いわゆる『ものしりなおじさん』が来ることが多かった。その中に悪気はないかもしれないが、『君には分からないと思うけど』という枕詞をつけて、私に話しかける人は一定数いて、フラストレーションが溜まっていました」(小野寺氏)
女性だから何も知らない、できないと思われている既成概念を壊したいと思っていた小野寺氏は、情報科学芸術大学院大学[IAMAS]イノベーション工房が2014年に開催したデジタルファブリケーションによるスツール製作コンテストに応募。ファブラボ仙台のスタッフや会員とともに制作したスツールは、約200個のタイヤがついたメカニカルなデザインが評価され、1位を獲得した。この作品をファブラボ仙台に展示すると、「ものしりなおじさん」たちの反応も変わったという。
「見学にきた人にスツールを紹介して、彼女が作ったんですよと言うと、たいてい驚かれますね。既成概念をぶち壊す作品として、しっかり機能しています」(大網氏)
「憂さ晴らしになったし、以前のように女性というだけでなめられなくなりましたね(笑)」(小野寺氏)
※マンスプレイニング:「man(男性)」と「explain(解説)」を組み合わせた造語。男性が女性を見下す、もしくは偉そうな態度で何かを解説する様子を指す
変化し続ける人と環境に、ラボもあわせていく
オープンから7年目を迎えたファブラボ仙台。運営も軌道に乗り、Maker Faireも開催されるなど、東北にもMakerの文化が根付きつつある。学生時代からファブラボを使用していたユーザーが社会人になり、職場の仲間を連れてくるケースも増えたという。
「学校には3Dプリンターがあったのに、職場には無くて困っているという人が同僚を連れて、『こういうのをオフィスに入れましょうよ』って話しているケースは多い」(大網氏)
まだファブラボもデジタル工作機械も知らない人はたくさんいる。だからこそ、伸びしろもあるという。その伸びしろを作っているのは、これまでにファブラボに関わった地域の人たちだという。
両氏はファブラボの運営で重要なのは、機材ではなく人だと指摘する。
「立ち上げ時にパワフルに動ける人も重要だし、自ら手を動かしてものを作れる人も重要で、メイカースペースを運営する上で重要なのは人の存在だと思います」(大網氏)
「他人に頼らずに、どれだけ自分たちで動けるかが大事。見学にくる人から『どうやって経営を存続しているのか』と聞かれても、『がんばってます』としか言いようがなくて(笑)。機材利用に依存しているわけでもないし、勉強し続けて、やれることを増やしてというのを継続していくしかないですね」(小野寺氏)
ファブラボ仙台の場合、立ち上げに奔走し、無理のない民間運営への橋渡しに心を砕いた自治体の職員の存在や、自分たちの仕事や職場とファブラボをつなげようとするユーザーの存在、そして講師やクリエイター、職人などの顔を持つ小野寺氏、大網氏が有機的につながっているからこそ運営が継続していると言えよう。
メイカースペースの運営に必要な人材について尋ねると、マネージャー、エンジニア、チアリーダーの3人が必要だと大網氏が答えた。
「マネージャーとエンジニアはできれば分業がいいけど、どちらかが8割マネージャー、2割エンジニア、もうひとりは逆の割合という形でもいいと思います。最近はそれに加えてチアリーダーのような存在が必要だと感じます。つまりは、その場にいる人たちを応援するような存在ですね。具体的に言うと、何を作っているのか話しかけたり、その場にいる人同士をつないでコミュニティを活性化できたりする存在。海外のファブラボでも、ユーザーに必ず一声かけるマネージャーがいて、そういうファブラボはうまく機能していると思いましたね」(大網氏)
小野寺氏もユーザーに作るモチベーションを維持させる目的で、チアリーダーの存在は重要だという。応援するという意味ではMaker Faireも、普段制作しているものを多くの人に披露できるという意味ではモチベーションの維持にもつながっている。
「参加される方は期待と不安の両方が同じぐらい強いようで、問い合わせや相談もよく来ています。今回のMicro Maker Faireをきっかけにして、東北のMaker同士がつながってほしいし、規模が小さくても、サステナブルなイベントとして毎年恒例のイベントになるといいなと思います」(大網氏)
両氏へのインタビューはSendai Micro Maker Faire前日に実施した。翌日、会場を訪れると100坪程度の会場には多くの来場者がひっきりなしに訪れ、東北各地から集まったMakerの作品を興味深く鑑賞したり、話し込んだりする様子が見られた。東北のメイカームーブメントは、これから花開く季節なのかもしれない。