あッ 3Dプリンター屋の人だッ!!
「CAD鉄」で、世界中の鉄道マニアの居場所を作りたい
東京は中野にあるサブカルのメッカ、「中野ブロードウェイ」の一角にある「あッ 3Dプリンター屋だッ!! 東京メイカー×ストーンスープ×ミライス」(以下、3Dプリンター屋)。学生や主婦、外国人観光客まで、さまざまな人が訪れるカオスなスポットだ。人々は、何を求めてこのお店に集うのだろう。インタビュー形式の連載第2回目でお話を聞いたのは、インターン生の斉藤正宏さん。大学では周囲と鉄道の趣味を共有できなかったという彼が、3Dプリンター屋に出会い、鉄道マニアのための居場所を作るために始めた「CAD鉄の集い」とは?(聞き手:越智岳人 構成:宮本裕人)
——自他ともに認める鉄道マニアの斉藤さんですが、まず、斉藤さんが鉄道にはまったきっかけを教えてください。
斉藤「電車好きの親戚のおじさんの影響ですね。おじさんは僕が生まれてすぐに鉄道雑誌を買ってくれていたらしく、僕は物心ついたときから電車に引かれていました。鉄道模型も小学生のときにそのおじさんが買ってくれて、中学に入ると鉄道研究部があったので、そこでどっぷり鉄道の世界に浸かりました。中高一貫校だったので中1から高3までがいる、入部テストなんかもある濃い部活でした。年に一度の学祭で、大きいジオラマを展示して来場者を驚かせるというのを1番の目標に、6年間鉄道模型一色の生活でしたね。
はじめはメーカーの模型を買っていましたが、新しい車両が登場してもその模型はまだ発売していなかったりする。そこで高校生になってからは『自分で作った方が面白いんじゃないか』と思うようになり、プラスチック板や紙を使って車両を1から作り始めました。そうすると、『これ新しい新幹線だ!』とみんながすごく喜んでくれるんです。自分が作ったものに対する人の反響を見るのが楽しくて、鉄道模型をやっていましたね」
——大学ではどのような道に進んだのでしょうか?
斉藤「やっぱりもの作ってる人はすごい、将来は鉄道を作るエンジニアになりたいと思って、大学は理工学部の機械系の学科に進みました。ところが中高の鉄道研究部がよかっただけに大学の鉄道サークルのレベルが低く感じてしまい、周りにも鉄道の話ができるギークなやつはいなかった……そこは自分が思い描いていた“理工”じゃなかったんです。
年に何回かは中高時代の鉄道研究部の先輩や同級生と会っていたので、それが唯一の救いでしたね。『やっぱりお前も大学で鉄道の話ができないのか』と、そのときだけはひたすら電車のことを語れましたから。ただ大学ではそういう場所がなかったし、SNSで見ず知らずの人と関わるほど積極的でもなかったので、大学時代はずっと1人で鉄道模型の趣味を進めていくことになりました」
——そんなときに出会ったのがこの3Dプリンター屋とのことですが、きっかけはなんだったのでしょうか?
斉藤「大学5年生の春が、ちょうどメディアで3Dプリンタが取り上げられるようになった時期でした。3Dプリンタというものを初めて知ったときに、『これで鉄道模型が作れるんじゃないか』とビビッときたんですよね。そこで123D Designという3Dデータ作成ソフトを使って、独学で鉄道の3Dデータを作り始めました。
自分で3Dプリンタは持っていなかったので、1年間ほどひたすらデータだけを作ってFacebookにアップしていたんですが、それを見た後輩の紹介で、3Dプリンター屋でインターンをしていた学生に紹介してもらってお店に来たのが始まりです。それまではデータしかなかったので、ここで3Dプリンタで出力して実物になったときは、もう感動しましたね。
その頃は卒論も終わっていたので研究室も追い出され学校にも居場所がなかった。サークルも入っていないし、当時は一緒に飲みに行く人もいませんでした。
そんな僕が、ここに来て初めて浦元さん(3Dプリンター屋を共同経営するストーンスープCEO)に出会い自分のCADデータを詳しい人に見てもらえて、面白いと言ってもらえたのがうれし過ぎて……。気付いたら、その次の週も自然と足が中野に向かっていましたね(笑)」