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Fabbleの使い方

Fab(ble)から生まれた新しい教育/学習スタイルとは?——「ものづくり」と「ものがたり」の連動・補完・相互作用

慶應義塾大学SFCソーシャル・ファブリケーション・ラボは、オープンソースのウェブブラウザ「Firefox」を開発するMozillaの日本法人「Mozilla Japan」が中心となって開発を進めているオープンソースハードウェア向けドキュメント共有エンジンをベースに、2015年1月に「Fabble」というWebサービスを実験的に開始しました。
ものづくりの手順と記録を共有する機能があり、大学でのレポートやハッカソン、ワークショップでの利用を想定して、現在もさまざまな開発が進められています。
本連載では、そのFabbleの開発に携わった方たちが開発の背景や利用シーンなどを解説。日本発のものづくり共有サービスについて紹介します。今回はfabbleが誕生するまでの経緯から大学の授業での活用まで、慶應義塾大学の田中浩也教授に寄稿いただきました。(編集部)

田中 浩也
1975年北海道札幌市生まれ。博士(工学)。東京大学工学系研究科社会基盤工学専攻にて、写真画像を用いた広域3Dスキャンの研究で博士号を取得。その後、2005年に慶應義塾大学 環境情報学部にて研究グループを立ち上げ、オープンソース3Dプリンタの可能性にいちはやく着目。2010年にMITへ客員研究員として留学し、帰国後、ファブラボジャパン、ファブラボアジアネットワーク、慶応義塾大学SFC研究所ソーシャルファブリケーションラボ等を立ち上げる。デジタルファブリケーションの可能性ついて、「技術」と「社会」の両面から実践的な研究を行っている。現在は慶応大学田中浩也研究室(SFC)と、文部科学省COI慶応拠点(横浜)の2つのラボを切り盛りしている。

“How to Make Almost Anything 2010”最終講評会の様子 “How to Make Almost Anything 2010”最終講評会の様子

Fab授業における「Show & Tell(見せて語る)」

私にとって“Fabble”の着想の発端は、2010年に1年間米国留学したときまでさかのぼります。当時35歳の大学教員だった私は、教育にも研究にも自分の限界を感じ、もういちど本気で「学び直したい」と思っていました。大学に研究留学を申し出たところ、認めてもらうことができ、1年間MIT(マサチューセッツ工科大学)に滞在しました。普通、研究留学というのは自分の時間の大半を興味のある研究にあてることが多いと聞きますが、私はむしろ気持ちをリセットするつもりで「学生」の立場に戻り、MITの授業を真剣に履修してみたいと思っていました。10歳以上年下の現役学生と机を並べて、自分の技術でどこまでやれるか試してみたかったのです。

ただ本音を言えば、授業の「内容」だけではなく「教え方(英語では「ペダゴジー(Pedagogy)」とか「アンドラゴジー(Andragogy)」と言われます)」を観察したいとも思っていたのも事実です。20年ほど前、一度目の(?)大学生だったときは、「教え方」を観察するなんてことは当然考えたこともありません。しかし今回は、いったん教員を経験したあとだったので、どうしても教える立場を意識した見方を消すことができませんでした。

“How to Make Almost Anything 2010”最終講評会の様子 “How to Make Almost Anything 2010”最終講評会の様子

現代、教壇に立っていて難しいと感じるのは、自分が学生の時と環境が全く変わっていることです。私が学生だったときは、まだ黒板にOHPで、プロジェクターは無かったし、プレゼンテーションの授業なんていうのもなかった。一応レポートはワープロで書きましたが、少し上の先輩はまだ手書きの卒業論文でした。ラップトップPCは登場前だったので、感熱型プリンタと一体化した「ワープロ専用機」を使っていました(当然重くて持ち運べません!)。Googleで検索しながら文章を書くことなんてことは、もちろん考えられません。しかし20年が過ぎて、教育環境は全く違うものになっています。スマホのメッセージが飛び交う、現在のICTの環境のなかで、どういう授業の進め方が本当に望ましいのか、自分なりに模索してはいましたが、混乱も多く、何かヒントを求めていたのも事実です。

そこでMIT Media Labで開講されていた、デジタルファブリケーションの伝説の授業「(ほぼ)あらゆるものをつくる(How to Make (Almost) Anything)」を受講することにしました。センサ、アクチュエータ、マイコン、無線通信、プログラミング、立体造形、スキャン、材料の混合、強度試験と、デジタルからフィジカルまでのあらゆる技法を高速圧縮で学ぶこの授業は、私の人生を変えるほどのインパクトがありました。当時リアルタイムでつけていた日記はまだWeb上に残っており、誰でも読むことができます。(後になってこの内容を整理したものが、拙著 (『FabLife—デジタルファブリケーションから生まれる「つくりかたの未来」—』、オライリージャパン刊、2012)の第2章にもなりました。

“How to Make Almost Anything 2010”最終講評会の様子 “How to Make Almost Anything 2010”最終講評会の様子

この日記を読むと思い出すのですが、この授業で本当にすごかったのは、内容もさることながら「クラスの雰囲気」でした。授業がはじまると、前の週に出されたものづくり課題の結果を、必ず全員が順番に前に出て発表します。その際、授業開始前までに特定のWebサイトに、自力でHTMLページを作り、その週の体験や作業内容をアップしてこなければいけないというルールがあります。発表時には手に「プロトタイプ」を見せながら、Webサイトをめくり、数分間しゃべります。

ここで発表を求められているのは、PowerPointで作られた、よくありがちな「まとめスライド」ではなく、一週間自分が実体験したこと、成功したこと、失敗したこと、などの泥くさい「生のプロセスそのもの」です。特定のWebサイトに事前にアップしてくる決まりなので、発表会中にPCの切り替えで手間取り、時間をロスすることもなく(よくPC切り替えでトラブルが起こりますよね?)、とてもテンポよく進みます。ひとりひとりの「Show & Tell —自分で作ったものを見せながら、自分のストーリーを自分の言葉で伝える—」を聞いていると、否が応でも雰囲気が熱くなり、次への刺激が生まれるのでした。ほとんどの学生が前日は徹夜で髪はボサボサになっているのですが、実に真剣そのものです。

ところで、「Show & Tell」とは、子どものころから人前で発表をする練習として、自分の家にある「もの」をひとつ教室に持ってきて、その「もの」について教室で語る、という形式のことです。いきなり何も小道具がなく、ただ「人前に出て何か話せ」と言われても、頭の中にあるさまざまな考えをうまくまとめることができず、困ってフリーズしてしまう場合がありますが、手に具体的な「もの」があれば、その「もの」を手掛かりに、発話をはじめることができます。私は京都で学部生をしていたころ、箱庭療法に興味を持っていたことがあるのですが、ある思いや漠然とした感じを言葉に変換するのが難しい心理状態であっても、「箱庭」という具体的な「もの」を作ることを経由すれば、言葉を紡ぎ出すのがはるかに容易になることを肌で体験しました。そのこととFAB教育はやはりどこかでつながっているのです。

“How to Make Almost Anything 2010”最終講評会の様子 “How to Make Almost Anything 2010”最終講評会の様子

私の場合、MIT留学中に英語習得でも変化がありました。「もの」が手元にあったほうが、言葉が具体的なフレーズになりやすく、結果として、「抽象的な難しいことを言おうとするあまり、英語が一言も出てこない」ということがなくなったのです(大人になってから外国語を学ぼうとすると、よくこのわなに陥るのではないでしょうか?)。「(ほぼ)あらゆるものをつくる(How to Make (Almost) Anything)」の授業では、「もの」は家から持ってきたものではなくて、自分で作りあげた「もの」です。ですから余計に、自分自身が体験したばかりの、新鮮なエピソードがすでにあるので、それを時系列に「直球で話す」ということだけで、単語が自然とつながり、言葉が次から次へ引き出されてくる感覚があったのです。

私が留学していた当時と異なり、5年が過ぎたいまでは、日本にいながらにして英語で「(ほぼ)あらゆるものをつくる(How to Make (Almost) Anything)」を世界同時中継の遠隔講義で受けられる「Fab Academy」が実施されています。興味を持たれた方は、「ファブアカデミー日本語ページ」をぜひ参照してみて下さい。

世界同時中継の遠隔講義“Fab Academy”の様子 世界同時中継の遠隔講義“Fab Academy”の様子

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