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今月もクラウドファンディングに◯◯万円使っちゃいました by Kibidango

5年待っても僕がテスラの車を欲しかった理由——テスラが実証した「クラウドファンディング」的な事業成長の軌跡

これが一番分かるのが、2016年3月に発表された同社の4つ目のクルマとなる普及価格帯の4ドアセダン「モデル3」の発表イベント。実際に見てみましょう。

Model 3発表イベント(2016年3月31日)

雰囲気が伝わりますか?イベントに招待されたのは同社がこれまでに販売したロードスター、モデルS、そしてモデルXのオーナーや予約者。言い換えると、「テスラ教」の熱狂的な信者です。参加申し込みは、ものの30分程度で満席になったとのこと。

CEOであるイーロン・マスクの、少し口下手だけどアツいスピーチが印象的です。

「なぜテスラが電気自動車を作るのか。サステナブルな輸送手段への移行を加速する必要があるから。それが世界の未来にとって大事だから。」

一方で、そんな壮大な目標とは対照的に、テスラの歴史は、資金繰りとの戦いだったともいえます。

テスラを創業したマーティン・エバーハード氏はただひたすら電気自動車でスーパーカーを作りたかったといいます。そして最初はエンジェル投資家として入ったマスクは、環境問題を解決しうる持続型の輸送手段としての電気自動車に将来を見出し、2004年に行われた750万ドル(約8億円)の同社への投資のほとんどを個人で拠出し、会長に就きます。

マスクは、テスラが設立された後の早い段階で「秘密のマスタープラン」を発表します。その内容は「高価格少量生産の高級車でスタート、基盤技術や生産体制の進展があれば時期をみて手頃な価格に広げていく」というもの。まだ自動車メーカーと呼ぶには小さく、資金もない中で世界を変えていく方法を見つけなければならなかったテスラが初めに手がけたのが小ロットで高価格なクルマの生産でした。そしてできたのが2ドアクーペのロードスターです。

止まった状態から時速100キロまで加速するのにわずか4秒弱のロードスターは世界最初の「すごい電気自動車」。それまでの電気自動車は「遅く、ダサく、そして航続距離も短かく、パフォーマンスも悪かった。」とはマスク。

でもその年間500台しか作れなかったクルマが、のちの自動車業界に大きなインパクトを与えた、とイーロンは続けます。「ロードスターを購入してくださった皆さん、ありがとう」

どういたしまして。(分不相応ですが、ロードスターのオーナーでもあります) どういたしまして。(分不相応ですが、ロードスターのオーナーでもあります)

ロードスターのプロトタイプが公開されたのが2006年7月。発表時点ですでに予約していた30人のリストには、グーグル創業者の二人なども。また、最初の100台は「シグニチャー100モデル」として、予約金10万ドル(1160万円)を払った人に経営陣全員のサイン入りの記念プレート付きモデルとして販売されました。元ディズニーのCEOであるマイケル・アイズナーや当時カリフォルニア州知事だったアーノルド・シュワルツェネッガーなどが予約していました。

その時点ではデリバリー予定は「2007年半ば」でした。

当時の従業員は140人。そしてロードスター出荷までにCEOが2回代わります。初代CEOのエバーハードが実質的にクビになり、二代目の元フレクトロニクスCEOのマイケル・マークス、そして数カ月後に三代目のゼーブ・ドローリが就任。

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