企業もはじめるFab&Hack
ルネサスがMakersの製品開発を支援——未来のドルオタアイテム?「きらきライト」が誕生するまで
ET2011がきっかけとなったがじぇるね
面白い製品のアイデアを持っている。具体的な製品イメージも出来上がっていて、プロトタイプも自分で作ってみた。ここまでのものづくりは、個人で頑張ればなんとかなるだろう。しかし、多くの人に使って欲しい、量産してビジネスとして起業したいとなると、個人の力だけではどうにもいかなくなる。そんなMakersたちが持つジレンマを、大手半導体メーカーであるルネサスが支援することになったきかけは、なんだったのだろうか。
「もともとは2011年の組込み総合技術展(ET 2011)の会場で、秋葉原の電子デバイス専門店である若松通商の方から、がじぇるねのアイデアをいただきました。ちょうどその頃、ルネサス内部でも何か新しいことをやりたいと思っていたこともあり、さらにArduinoベースのボードやWebコンパイラというコンポーネントもすでにそろっていたので、タイミングがよかったのだと思います。すぐに私を含む3人の社員でプロジェクトを立ち上げ、イベントとして盛り上げていこうということになったのです」(松山氏)
早速、プロジェクトで提供するリファレンスボードの仕様を決めてMaker向けボードを得意とするメーカーに2012年の3月20日に発注をすると、4月10日にはプロトタイプが出来上がり、松山氏はそのスピードに驚いた。
「私もルネサスの中で、ものづくりのプロジェクト管理を経験してきました。通常、仕様が決まってから発売までに半年から1年かかっていた製品作りが、1カ月くらいでできてしまうスピード感は、これからの日本のものづくりに必要だと思うようになりました」(松山氏)
COUNTDOWNに出品したきらきライト
チャレンジプログラム第1弾において、コンテストのステージで3位以内に残った参加者の一人が飯島氏だ。実は、コンテストで9位までの参加者にルネサスから製品化のサポートを申し出たが、最終的に残ったのは飯島氏だけだったという。ソフトウェアエンジニアである飯島氏は、趣味としてものづくりを楽しんでいた。そのうち、自分が作ったものを人に見せたいと思い、ここ10年くらいで電子工作に目覚めて秋葉原によく通うようになった。そこでルネサスのプロジェクトのことを知り、チャレンジプログラムに参加することになったという。
「2014年のMaker Faireに行った時に、振ると文字やキャラクターが浮かび上がるバーサライターを、自分でも作れるんじゃないかと思いつきました。その後、コンサートなどでみんなが振って応援メッセージが伝わったら楽しいなとか、音に反応して色が変化すればカラオケボックスなどで場を盛り上げてくれるんじゃないかとか、いろいろとアイデアを考えた末に出来上がったのが、きらきライトです。それをルネサスナイトでプレゼンするとオーディエンスの方々からの商品化の声が高かったことから、本腰を入れて作ってみようと思いました」(飯島氏)
試作では、一番安い基板を自分でカッターで割り、市販のペンライトの中に押し込んで作ってみた。しかし、量産を考えた時に立ちはだかった壁が、筐体の製造だ。外装を樹脂で作ろうとすると金型が必要になり、それだけで100万円くらいのコストがかかることがわかった。他に仕事を持つサラリーマンの飯島氏にとって、これに勝負をかけて起業しようと考えているわけでもない。もっと安価に金型が作れないかとペンライト開発会社にコラボを提案するなどいろいろと動いてみたが、なかなかいい方向には向かわなかった。
「そこで考えたのが、木製のペンライトです。そのような製品は他に見当たらないし、話題性もあるんじゃないかと思いました。ネットでこんなの作ったとつぶやくと、使って見たいという人が現れたので10台くらい作りました。実際に使ってもらい、指摘された問題点をつぶしていって最終的な見積もりを出してもらうと、それでも1台1万数千円くらいの価格設定になってしまいました」(飯島氏)
結局、この価格ではクラウドファンディングに出しても魅力を感じないと思い、結果的にLEDコントローラのコアとなるエンジン部分だけを「きらきライト・コア」としてCOUNTDOWNに出品することにした。このような状況での出品には、いろいろと苦労があったようだ。クラウドファンディングの運営者としてチャレンジプログラムを支援するアレックスの矢崎亮氏も、価格設定やマーケティングなどに関していろいろと提案を行った。
「クラウドファンディングに出品されているもののほとんどはすでに商品のイメージが出来上がっていて、それをベースに写真や動画が作成されています。飯島さんのケースのように、エンジン部分だけで完成品のイメージすらない状態で写真や動画を載せて、どうやって人を引きつけるかというところが、非常にハードルが高かったです」(矢崎氏)